2022/02/24:

純粋に拘束時間が時給に換金されるバイト(存在バイト)を仮に想定してみると、このバイトの唯一の業務は決められた時間のあいだそこに存在することである。存在しさえすればいいから、そこにいるのは「理論上は」誰でもいいし、公序良俗に著しく反していなければ、その場所で可能なことは何をやっても良い。こんなバイトがあったらそれはそれは楽だろうが、しかし実際はそんなバイトはなかなかない。いや準ずるものは実際にあるにはあるが、極めて巨視的な、かつ平等主義的な観点からみると、本当はあってはならない。なぜならそういうバイトはふつうラッキーによってありつけるものではなく、たいてい公的権力や資本家などのおこぼれから生じるものであり、実際にそういうバイトをしているものは、自身の知らぬうちに、背後にあるこのような権力に魂を売り渡しているからだ(さきほど「理論上は」と括ったのはそのためだ。実際には、「うまい話」はコネや内輪の関係から外部に漏れ出ることはほぼない)。要するに、楽なバイトなどの「うまい話」は、かなり深い、「魂」の水準での権力との連帯によってありつける。必ずありつけるとは言わないが、少なくとも蓋然性は高くなる。以上は持論だが、さほどトンデモな話ではないと思う。

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