味噌汁。

社会人6年目。ごくごく普通な日本の企業で働いています。アメリカ駐在中。

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社会人6年目。ごくごく普通な日本の企業で働いています。アメリカ駐在中。

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  • 味噌汁旅行記。🌐

    さまざまなところでのお話。👩✈️//🇱🇰🇪🇸🇬🇧🇧🇪🇫🇷🇳🇱🇩🇪🇸🇪🇫🇮🇪🇪🇵🇱🇨🇳🇭🇰🇹🇭//

最近の記事

29歳になりました。

29歳になりました。 28歳の1年間は多くのことを知った気がしています。28歳は最初から最後までアメリカで過ごしたので、なんと言ってもまずは「駐在員としての働き方」というものを身をもって経験した気がしています。海外で働きたい!の一心で生きてきましたが、駐在生活は想像していたようなものではなかったかもしれません。ひとえに私の想像力が足りていなかっただけとも言えますが。 決して人数の多くないオフィスで、日本本社からの要望事項は多く、私のような平社員1人で到底どうにもできないこ

    • アメリカに着いて2ヶ月が経ちました。🇺🇸

      アメリカに着いて、2ヶ月強が経ちました。 やっとソーシャルセキュリティカードを入手して銀行を開設できました。 あと運転免許を取れば、一旦落ち着きます。 突然ですが、「英語表記でも変でなく、読みやすい名前」と思って 父が私の名前を決めたという話があります。 父は先見の明があったみたいです。仕事でアメリカに来てやっと気づきました。 周りの上司は、男性で3文字の名前が多く、 「えーっと、この前来たあの男性がね」と表現されている場面が何度かありました。 私はというと、2度目

      • アメリカに着きました。🇺🇸

        着いた日の日記です。もう2ヶ月も前のことです。 アメリカに着きました。着いてしまいました。 渡航当日も前日もその前にも友だちがたくさん遊んでくれました。 なんだか泣くのはもう嫌で、なんなら私が泣くのはお門違いな気がして、なるべくサラリとにこやかに渡航したいと思っていました。 だからこそ、寂しさから目を逸らして、意識的に考えないように、みんなと会いました。 案外うまくいきました。 お正月の気持ちのまま、半ば無理やりぼーっとしながら、寂しさに気づく前に着いてしまえばい

        • 渡米します。🇺🇸

          5年間見失いながらも、ずっと一つの目標だけを信じて、過ごしてきました。 これでいいのかな、と何度も思いました。 その度に、でもこれしかないもんな、と唱えてきました。 一度にたくさんのものは手に入らないのだとつくづく感じます。 一つ一つ順番に叶えていくには人生はとても短すぎる。 すでに逃したたくさんの事柄があります。 でも今は一つのことを信じたいです。 自分のことしか考えていないと気づきながらも、そのことには目を背けようと思います。 私は物心ついた頃からモーニング娘。

        29歳になりました。

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        • 味噌汁旅行記。🌐
          7本

        記事

          卒論のはなし。

          卒業の季節が来ているらしいので、卒論の話でもしてみようと思います。 卒論を書き始めた時、確か、あれは秋のことでした。 私の教授は「とにかく文字数を書け」としか言わなくて、そんなこと言われてもねえ…と思った私は、旅行に行きました。 もう今しか遊べないよな、とか、タイにいる友人に会いたいよな、とか色々考えていたら、タイまで行くのは香港経由が安いなとなって、香港通るなら友人(由来のはなしの彼女)に会わなきゃなとなって、結果、香港5日➡︎タイ2日みたいな旅行を決めたのでした。

          卒論のはなし。

          由来のはなし。

          昨日は、ある友人の誕生日なので、その子との話をしようと思います。彼女がこれを読むことはないですが、それでいいです。 留学先のベルギーで知り合いました。 同じ寮の1つ上の階に住んでいて、私より半期早くベルギーに来ていました。 留学生活が始まった当初、本当に英語がわからなくて、分かったとしても言葉を発することができなくて、内心すごく落ち込んでいました。 日本では友だちがいて、たくさん喋るのが私だったので、話し相手もいなければ、英語で話したいことなんて本当になくて(言いたいこ

          由来のはなし。

          27歳になりました。

          今の私が思うことを少しまとめておこうと思います。 少し前に「ストーリーオブマイライフ」を観ました。 ことごとく映画で寝てしまう私が、寝ませんでした。寝る暇がありませんでした。 ジョーの気持ちがよくわかると言うとなんだか違うのですが、それでも、あの、どうしようもない葛藤の気持ちが私の中でも反響したように感じます。 自分を信じて、自分を騙して、そんなふうに強くなり、揺らぐ自分を信じるためには半ば騙すくらいの勢いも必要なのだろうと思います。 この春で、社会人になって、もう5年

          27歳になりました。

          4年目になりました。

          さて、4年目になってから既に4ヶ月ほど経ってしまったわけですが。 変わったことといえば、 昇格したので、少しばかりお給料が増えました。多分。 あと、光栄なことに、1年目社員(約30人)に向けて1時間強の講義をする機会をもらいました。 今日はそのことを少し振り返ります。 まず、私の会社で「講師」というのは、 基本的に勤続20年!30年!みたいな、なんらかの分野についてかなり詳しい方がするのが通例なので、 私にその役目が回ってくるのは、とてもとても不思議なことです。 や

          4年目になりました。

          幸せについての思考(2)

          どんな人生なら幸せだろうと、また考える。 今日は仕事について。 きっと今の私は、かつて思い描いていた社会人だ。 幼稚園の頃、私は英語を好きになった。普段使わない言語を学ぶことがとても楽しかったのだ。それから心の片隅でずっと留学を夢見ていた。大学を決めた基準も「留学できるかどうか」だった。 留学するという夢が叶った時、次に見つけた目標は、「海外で働くこと」だった。留学先で見た日本人がかっこよくてうらやましかった。 就職先でもなかなか恵まれている方だろう。「東京で働きた

          幸せについての思考(2)

          味噌汁旅行記🌎#007...オランダ🇳🇱

          ベルギーから電車でごとごととオランダに来ました。 ライデンです。なぜライデン、という感じはあるのですが、アムステルダムなどなどは留学時に行ったのでまあいいかという気持ちがひとつ。オランダをよく知る教授が案内してくれるというので、その方がいるところで。というのがもうひとつ。 そんなライデンのホテルからの景色がこちら。 そういえばその年は大寒波到来!の年でした。 運河にかかる橋と、その上の自転車が、いかにもオランダを感じさせてくれます。確かこの日は土曜日だったので、街中に

          味噌汁旅行記🌎#007...オランダ🇳🇱

          味噌汁旅行記🌍#006...ベルギー🇧🇪

          さて、またまた間が空いてしまったけれど、雪降る寒い寒いクラクフを離れて、ベルギーへ。 ベルギーは、私が交換留学期間を過ごした国で、世界の中でとりわけ思い入れの深い国だ。 久しぶりのベルギーにワクワクが抑えられなかったのを今でも覚えている。今から考えるともう2年も前のことなのに、だ。 留学中に何人もの友人が私を訪ねてベルギーまでやってきてくれた。その度にお迎えに来ていたので、空港に着くだけで大きな懐かしさと安心感に包まれた。 オランダ語は勉強できなかったので、これが正し

          味噌汁旅行記🌍#006...ベルギー🇧🇪

          幸せについての思考(1)

          どんな人生なら幸せだろう、とよく考える。 これに対してブレない答えを持っている人はきっと幸せだろう。...と、ここまで書いて、いや、そうなのか?と自問する。そうじゃないかもしれない。自身の現実とかけ離れた誰かの人生に対して、強い憧れを抱いているとしたら、幸せを明確に知っていたとして、自身は幸せではないかもしれない。 幸せについて考える時、私は本当に面倒な人間だと思う。 日々の瞬間の集まりが人生であるとしたら、今すぐに生活を見直す必要があるかもしれないととにかく焦る日もあ

          幸せについての思考(1)

          3年目になりました。

          社会人1年目の春、いろんな気持ちに襲われてブログを更新したのも懐かしく、気づいたら3年目になっていました。 4月から異動になり、これまでの2年間と異なる事務所で異なる業務を担当することになりました。 「どうだった?」と聞かれると「楽しかった」です。でも、ひとつひとつ思い返すと全然楽しいだけではなかったです。特に2年目は、「辞める」以外の道が見えなくなった日もありました。が、なんとか続けられています。節目として、2年間をふりかえってみます。 1年目。多くの友達に恵まれ、私

          3年目になりました。

          味噌汁旅行記🌍#005…ポーランド🇵🇱

          どうしてもシンドラーの工場に行きたかったので、市街地から電車で南下し、そこから市街地へ歩き戻るというコースで散策した。(写真に地図を貼り付けたので、距離感覚や場所が知りたい人にとっては、少しだけ役に立てるかと思います。) 橋を渡って北上すると、カジミエシュ地区。おそらくこの地区で一番特徴的な景色がこれではないかと思う。 たくさんのシナゴーグがあり、そのいくつかを見学した。これが私にとってユダヤ教を直接的に感じる初めての経験だった。シナゴーグは、どこも白くてシンとしていた。

          味噌汁旅行記🌍#005…ポーランド🇵🇱

          住むということ。

          上京して、あっという間に1年半が経った。私は全くこの街に住んだ心地がしない。ネガティブな話をしたいわけではなく、私にとって「住む」がなにを意味しているかについて話したいと思いながら、始めることにする。 地元から出て、福岡4年⇨ベルギー1年⇨東京2年目に突入。といった具合に進んできたが、今ほど住んだ心地のしなかったことはなかった。 たしかに福岡に住み始めたときを思い返してみると、全然好きじゃなかったけれど、それはただ単に「知り合いが一人もいない環境で生きること」への免疫

          住むということ。

          祖父のはなし。

          私に読書を教えてくれた祖父が死んだ。 いつ腑に落ちるかはわからないけれど、死んだらしい。いろいろあり、怪我をしてから、どんどんと弱っていく様子だったけれど。とはいえ、つい1ヶ月ほど前は、農業で鍛えた強靭なその右手で、私の右手を握りしめていた。 脳の損傷が大きかったので、記憶は錯綜していたし、次第に応答すらできなくなっていったので、 私の手を握る彼の思うところは、私からは何一つ読み取れはしなかったけど、 それでも、強く握る右手から祖父は生きていると実感した。 頑固で、意

          祖父のはなし。