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向き合う

高校の部活の後輩とご飯を食べに行った。
後輩のInstagramで後輩たちが高校の部活のメンバーと集まったときのことが書かれた投稿にコメントしたのがきっかけ。
後輩が会いたいです、ご飯いきませんか、とメッセージをくれて、私も高校の部活の人とほとんど会っていなくて久しぶりに部活の人と話したいなと思ったので、誘ってくれてありがとう、私も会いたいよ、と返事をして会う約束をした。

後輩は2つ下で、彼女が1年生として入学してきたとき私は3年生だったので4~8月しか一緒にいなかったし、ブロックも彼女が中長距離で私は短距離だったので接点は多くなかった。
しかし彼女にとっては、私が1年生のときに3年生の先輩方が大人びていて強く見えたのと同じように、3年生というのは大きな存在で、私のこともきちんと見てくれていたようで嬉しかった。

最初は思い出話に花を咲かせた。
誰の声だしが特徴的だったとか、
誰と誰が私に懐いていて私も溺愛していて周囲から見てラブラブ度合いがとんでもなかったとか、
河川敷の冬の向かい風が強くて息ができなかったとか、
追いコンでの3年生のモノマネで私がクセが強い人間だったのでモノマネのネタがありすぎて大変だったとか。

人それぞれ指導のしかたが違って、精神論まで持っていく熱血タイプもいれば、精神論は持ち込まず技術面中心で質の高さを求めるタイプもいれば、指導に無関心だけれどちゃんと後輩のことは見ているタイプもいれば、自分からは干渉せず聞かれるまで答えないけれど懐いたら溺愛するタイプもいたとか。

私は筋力がなくてサーキットトレーニング(校庭全体を使って筋力トレーニングの場所を作り(6~8種目程度)それぞれの種目をjogでつなぐというもの)は人一倍力をいれていた。
入学後、初めて私と組んだとき他の先輩とは厳しさが違ってとんでもない洗礼を受けた気分だったという話をされ、ごめんねと言った。笑

サーキットトレーニングは頑張りたいときはこの人と組むというのが何となく決まっていて、メニューが事前に分かっているときは予約したりされたりした、という話もした。

他には思い出の写真を見せてくれて、このとき誰が◯◯って言って面白かったんですとか、そういう話をしてくれて笑った。

思い出話の中に、
冬季のチーム内のいざこざとか、
ミーティングを何時間も何日もかけてやったとか、
先生は私たちに不安にさせないように前向きなこと言ってくれてたけど卒業するときに実はあのとき眠れないくらいに不安だったって告白されたとか、
インターハイ決めたときやインターハイのラストレースの映像は何度見ても震えるし涙が出そうになるとか、
そういう話が出てきてだんだん深い話になっていった。

後輩は2年生のときの駅伝で東北大会を逃し、悔しい思いをして冬季練習に入り、3年生では東北大会の切符をつかんだものの彼女は正選手として走ることはできなかった。
そのときの悔しさ、学んだこと、考えたこと、先生からの言葉、それを胸に卒業後進学した先で努力し目標としていた職に就き精一杯働いている。

それを聞いて、私の目に映っていた1年生のときの彼女が、私と会っていない期間に成長していたことが分かった。
もちろん根が明るくて人と話すことが好き、思いやりをもって人と接することができる、という本質的なところは変わっていなかったけれども、大人になったな、かっこいいなと思った。

それと同時に、競技ではそれなりに結果を出せた自分、卒業したあとはどうだろう、この有り様だ、と負けたような気もした。

後輩に対して悔しい思いをバネにして今をつくってるのかっこいい、尊敬する、と伝えた。
逆に自分はどうかなって考えさせられた、実際高校のときの自分に負けっぱなしだし、当時の自分が今の自分を見たら鬼の形相で襲いかかってきそうだ、と言った。
ご飯を食べているうちにいつかは話すタイミングが来るだろう、と思っていた、自分の現状を話した。

大学に入って必死に勉強したけれどどう頑張っても周りより成績が良くなくて勉学は諦めたこと。
カフェの仕事が楽しくなって、尚更大学が嫌になって、必要最低限の勉強しかしなくなったこと。
研究に対する意欲もたいしてなく、大学院に進学してからというもの授業も研究室もまともに行けていなかったこと。
インターンに行って良い会社を見つけたけれど同時にカフェから離れることが辛くなったこと。
他の人と同じように院卒として入社して働くことが嫌で、やりたくないことや興味のないことを、やりたいですとか興味がありますとか言うことに疲れて、カフェで働きたい想いが強くて就活をやめたこと。
精神的に問題を抱えていること。研究室を休ませていただいていること。

「授業にも研究室にも行けないし、こんなに勉学や研究に励むことができていない自分、たぶん当時の自分が見たら怒ると思う。こんな落ちぶれた学生生活送ってるなんて信じられないと思う。弱くなった。負けてる。私は悪い方に変わった」

「はるえ先輩、本質的なとこ全然変わってなくないですか?当時のはるえ先輩のままですよ?」
「…え?」
「はるえ先輩って好きなこと、自分の大切なものにはすごい高い意識で取り組むじゃないですか。それが当時は陸上競技と勉強だったけど、今はそれがカフェになっただけですよ」

「私にとっては、強い意思と高い意識を持った自分の道を突き進むかっこいいはるえ先輩のままです」
ああこの子すごい子だ、人ときちんと向き合って、内面を見てくれる人だ。

「それに、はるえ先輩って、高校選んだときだって先生に進学校進められたのに、無視してうちの高校にしたじゃないですか、就活のことも同じで、なんていうか、敷かれたレールの上歩かないっていうか、名誉欲とか権力握りたいとかお金持ちになりたいとかそういうの興味なくて、自分の進む道は周りがどう言おうと自分がやりたいと思うことにしたがって選ぶ人ですよね笑」
「…ねえそれって褒めてる?けなしてる?笑」
「褒めてますよ?笑 私はそういうとこ、好きです」

学歴や経歴、数値化できる能力でレッテルを貼られるのが幼い頃から嫌いだった。
社会的地位はある程度それで判断されるかもしれないけれど、それがその人の全てではない。

幸せなことに私は、自分の考えに耳を傾け、一人の人間として真っ直ぐに向き合ってくれる人と多く出会ってきた。

真っ直ぐに人と向き合うというのは簡単なことではない。
まず先入観は捨てる。あなたはこうだ、と決めつけずに相手の話を聞いてその人を知ろうとすること。考えを聞いて受け止めること。
相手に同調するのではなくて、良いと思ったものは良いと言う、わからないと思ったものはわからないと言うこと。
相手は他人だということを忘れず、すべて自分の思い通りにしたり完全に分かり合おうとしたりするのではなく、相手を否定せず自分と違うところがあっても多様性として捉えること。

こうやって真っ直ぐに人と向き合うことによって、相手の本質がだんだんと分かっていくのだと思う。
真っ直ぐに人と向き合うというのは、それなりに労力がいることだから、きちんと自分と向き合ってくれる人は大切にしたいし、長く付き合っていきたい人とは真っ直ぐ向き合いたい。

そんなことを考えながら、カフェっていい空間だよな、と思う。
カフェはその空間にいるためのお金(コーヒー代や食べ物代)を支払うことができれば幅広い年齢層、様々な立場の人が簡単に出入りできる。
学生証や免許証など身分証明書も見せる必要がない。
近くの席に座っている人が何歳でもどんな職業でも気にしないし、店員さんだってお客さんの年齢や仕事などを初対面で聞いてくることはほぼない。
1対1の関係、お客さんと店員さんの立場は対等。
年齢、学歴、職業など何も関係なく、一人の“人間”として存在できる。何て幸せなことだろうか。

なんて、気づけばいつもカフェのことばかり考えている。
好きなもののことを考え始めると止まらなくなって沼にはまっていくところ、相変わらずだな。

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「そういえば私、はるえ先輩のインスタの文章好きなんです、情景が浮かんでくる感じがして。」
と後輩。
最近よくInstagramのカフェ写真を中心にのせているアカウントで、投稿文の言葉の選び方、運び方が好きでじっくり読んでますとか、文にカフェやそこの商品への愛が溢れていて好きですとか、毎回投稿の文章楽しみにしていますなどと言ってくださる方がいる。
風景写真を中心にのせているアカウントのほうではふと思ったことを詩的に書いているのだけれども、その感性が好きですとか、写真もだけど文章も美しくて素敵ですとか、褒めてくださる方がいる。

それは本当に嬉しくて幸せなことだ。
カフェの感想でも、詩的なものでも、書くときは毎回構成を深く考えるし、自分が納得のいくまで何度も何度も練り直しているから。

幼い頃から本を読むことが好きで、自分の気持ちを言葉で書くことも好きだった。
高校の部活ではミーティングで突然発言を求められることもあったし、自分の考えを言葉できちんと伝えるということに関してかなり鍛えられた。
ただ定期考査や模試、入学試験で一番点数が低いのは毎回国語で、ずっと苦手意識があったから自分の文章はたいして上手くない、ただの自己満足だと思っていた。
Instagramの長い投稿文に目を通してくれている人なんてさほど多くないし、くどくどうるさいと思っている人もいるのかもな、などと思っていた。

そんなこともあって、自分の文章を読んで好きですとか楽しみですと言ってもらえると書いてよかったなと嬉しくなってまた書きたくなる。
ちゃんと見てくださる方がいて、好きだと思って楽しみにしてくださる方がいる。どれだけの数の人がそう思ってくれているか分からないけれど、そういう人が一人でも二人でもいるということはとても幸せだと思う。
自分の書くものを好きと思ってくれる人のために、これからも書いていきたい。

長くなりましたが、初めての方も、何度か読んでくださっている方も、最後まで読んでくださりありがとうございました。

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