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私が何を思っているかは貴方にとって取るに足らなかったとしても


私はどうも人と比較する癖がある。自分はこの人より優れている。自分はこの人より劣っている。評価軸はなんだってよくて、とにかく自分が自分である証拠が欲しかった。今までも、きっとこれからも。

自分にとってはかけがえのない自分で、「天上天下唯我独尊」と言う言葉が好きだし、その言葉は誰にでも当てはまると思っているし、一方でそんな自分が他者から軽んじられる事に強く憤慨してしまう。

これを、ただ「プライドが高い」と言う言葉で理解してしまうのはあまりにも過ぎた単純化だ。気持ちってそんなにシンプルじゃない。嬉しいときだっていつも不安はすみっこにあるし、怒りと感謝が共存することだってあって、いつだって感情は一色じゃない。

きっと私は知ってほしい。自分が何者であって、何に心を動かされるのか。何に喜んで、何に悲しむのか。傷ついたときだって、それはあなたの問題でしょ?と正論の暴力でボコられたって私はきっと、「傷ついたよ」と言うことを伝えたいのだ。
どうこうしてほしいと言う話ではない。慰めてほしいのか、じゃあ慰めればいいんでしょ、ということでもない。
自分のことを考えてほしいとか、大事にしてほしいとか、そう言う相手の行動を決めることは何人たりともできない。相手が何を感じ、どう行動するのかは究極的に相手の自由だし、私が何を感じ、何を言うのかも自由だ。

ただ自分にできることは、素直になることであると思う。何が好きか。嬉しいとか楽しいとか、恥ずかしいとか。ポジティブじゃなくたっていい。悲しかったり嫌だったり、辛かったりさみしかったり。本当にそれだけでいいはずなのに、伝えることはなんて難しいんだといつも思う。

一つや二つあるかの私にできること、それはきっと言葉にすることだ。言った後でなんども後悔したりする。言い方を間違えたり、言わないほうが良かったり、いつだって自分にできる限界って大したことはない。ただ目の前にある少しをやることが、十分すぎるほどの今の自分の足元にすぎない。

何を言ったってあなたがどう思うかはわからないし、知らない。私も自分自身が上手に伝えられるかの自信もない。けれど精一杯伝えようととりあえずトライしてみようと思う。
道は交差しては離れる。いつか交わればいいのにと思いながら、どうなるか旅人は知る由もない。

本を買います、って言える知的な人になりたかった。多分あれこれ使い道を夢見たあとに貯金します。