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好きだった人の連絡先を消してしまった話

誰かと話した後、いつも「こう言えばよかった」「あれ言った時微妙な反応だったな…」などとぐるぐる考えてしまう。その度に「次はこうしよう」と改善策を打ち出しては一人で納得するのだけれど、「それを言ってしまった自分」は黒歴史として自分の中に鈍く、重く残り続ける。だから、過去のやりとりを見返すのがすごく苦手だった。
みんなそうなのだと思っていたけど、「黒歴史自体ない(そもそも黒歴史だと感じない)」と言う友人の話を聞いてびっくりした覚えがある。私にとっては、過去の自分なんて全て黒歴史と化すのだから。

最近自分の中に変化があったので、それを記しておこうと思う。いつも「本人が見やしないか」とビクビクするのだけど、まあ見る可能性は100%ないとしてぶっちゃけて赤裸々に書いてしまう。

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去年の秋頃、好きな人ができた。一つ年上で、理系の院に行っている人だった。知り合った経緯は省くが、最初は全く自分のタイプとかではなくて、意識していなかったのだけど、ご飯に誘われたりするうちになんとなく好きになっていった。

なぜまだその人のことを覚えているのかと言うと、やっぱり自分の知らない世界を見せてくれた人だったからだと思う。
その人と自分は趣味も好きなものも全く違っていた。
彼には芸術系のセンスがあって、映画を一緒に見に行くと、構図や撮影術について話していた。私は今までそう言う目線で映画を見たことがなくて、その話はそんなに盛り上がらなかった。
好きな音楽も違った。NulbarichとかKingnuみたいな邦楽が好きな人だった。私はその人のことを理解したくて、Nulbarichを初めて聞いた。
バイクの後ろに乗せてもらったこともあった。バイクのかっこよさが当時全くわからなかった私は、後ろに乗せてもらうのを躊躇したことを覚えている。
全部違っていて、だからこそ好きだった。自分の知らない世界、ものの見方、新しい何かに触れることが自分にとっては刺激的で、謎めいていて、とても魅力的な人に思えた。
結局縁がなくなってしまった理由は、自分の好きが相手の好きをとうに上回って、その感情に自分が追いつかなくなったからだ。
最後のやりとりの時、私は違いすぎるその人の価値観が嫌になり始めていた。
もうその時は私の方が相手のことを好きだったと思う。誘うのは私から、行くのはその人の家の近く、返信も3日、4日置きは当たり前で、そりゃ彼女でもないんだから求めることもできないと思うけど、勝手に好きになって勝手に嫌な思いをする自分がいた。
最初から適当なあしらいで、なんとなく会った子に鎌をかけた程度だったんだろうなあ、と今になっては思う。けれど、当時は「なんで自分ばっかり」と言う気持ちになっていた。恋愛慣れしてない自分の中に、「なんで」がいくつも積み重なっていった。
そのまま連絡を取ることはなくその物語は終わったのだけど、まだしばらくその人のことが好きだった。それが自分としてはどことなく悔しかった。なので、私はその人の連絡先を全て消してしまったのだ。もう二度と、その人と連絡を取れないように。自分の中の「まだ好き」と言う気持ちをなかったことにするように。嫌いだから、ではない。過ごした時間、好きだったその時間を思い出すほど自分の心がかき乱されるのが、我慢できなかった。

バイクの彼とのやりとりを消して数ヶ月たった日。偶然にも、彼とのやりとりを開いたことがあった。というか、間違えて開いてしまった。連絡先も全て消したのはLINEだったのだけど、もともと知り合ったのは全く別の繋がりだった。そっちのログが残っていたのだ。彼は自分のアカウントを削除していて、私は誰とのやりとりかわからないまま、何気なく開いた。
縁が切れる直前、切れた後も、私は彼の嫌なところばかり思い出していた。自分の方が好きだったと言うことを、プライドが許さなかった。だから自分の「なんで」と言う気持ちだけを引っ張り出して、そんなことをするなんておかしいよね、もう会わなくて正解だよ、うんうん、と何度も彼を思い出すたびに相手を「ちょっと変なやつ」に仕立て上げて、自分の行動に合理性を持たせようとしていた。
けれど残っていたログにいたのは、私の覚えていないその人だった。ログから見るその人は、私の中で作られた彼よりも誠実で、相談すれば答えてくれる優しい人に感じられた。
きっと最初から最後まで、その人は何も変わらないままだった。その人と関わっていた当時、私は「上着くらい貸してくれてもいいじゃん」と思ったり、駅まで送ってほしいのになあと思ったり(彼女じゃないのに)、なんでなんでが積み重なって行き場を失っていた。それは私自身のわがままとか自分勝手さから相手に不満や疑問をもっただけなのもあるんだけど、最大のポイントは「その人の見えない部分が見えただけ」なことに気づかなかったからだ。
出会ってすぐは自分が相談に乗ってもらう間柄だった。その時は「優しい人だ」と思って、次に会った時はご飯に誘われて、エスコートしてほしい私はエスコートに慣れていないその人に少しがっかりしながらもその不器用さに惹かれて、最後になる程相手の考えていることがわからなくなって、行き場を無くした「なんで」はその人をいわば悪者に仕立てあげることで正当性を保った。
けれど最初から最後まで、彼は彼だったんだと思う。初めて会った時に見た一面も、最後に知った一面もすべて合わせてその人で、私にはそれらを繋げて理解できるほどの器はなかった。
初めて知るその一面一面が自分に影響を与えて、心を揺さぶって、その揺さぶりがポジティブなら「好き」でネガティブなら「嫌い」なんて、身勝手だよなぁ。それだけ目の前を一生懸命生きていた、自分の健気さも伺えるのだけど。

最初は違うところに惹かれて、その違いが嫌になって、付き合ううちに受け入れあって、このサイクルを繰り返しながら関係は築かれていく。最初に「素敵だな」と思った気持ちも、時が経てば忘れてしまう。過去があって今があると頭ではわかっていても、目の前の感情に溺れてしまう。
関係が長かろうと短ろうと、例えば家族だって、まだまだ自分の知らないもしくは本人すら知らない一面が顔を見せることだって十分にある。

あの時好きだと思ったその人と、今自分が受け入れ難いと感じているこの人も同じ人間なんだ、と知ること。
愛を感じること(自分の中から湧く愛も他者から受ける愛も)が幸せに繋がるのだとしたら、「あの時の彼も今の彼も全てひっくるめて彼で、そんな彼を自分は愛している」と言えたら、人生の幸福度ってちょっとだけ上がるのかもしれない。

おしまい。




本を買います、って言える知的な人になりたかった。多分あれこれ使い道を夢見たあとに貯金します。