今日のnote

今日も。noteを開く。
仕事は終わってない、ブラックなのか、仕事が遅いからか、まあうちの会社はみんな残業やって残業申請出してないからブラッキーだと思うけど、そこを考え出すと、多分死んでしまうので、noteを書く。

自分のせいじゃないのに、怒られた。
他の人の勘違いで、むしろ自分はちゃんとやっていたのに、私のミスのように、言われた。

そんな悲しいことってなくない?と、文字にするとたいしたことないと気づくんだけど。

ああ、これも、あれも。それもやらなきゃ。覚えていたってどうせ終わらないんだけどさぁ。時間があったって、できないものはできないんだけどね。
どうでもいいものはどうでもいいんだから。

諦めてしまった。
毎日浮かんでは消え、浮かんでは消え、を繰り返すのは、「私とマルマルさん(上司)の信頼関係を0とすると」と話すシーン。
いう機会はないし、聞かれることもないとは思うけど、まあ信頼関係は0だよな、と思う。

意地を張って、とか、できる部分は盗もうよ、とか、何か目的ありきで理由を作ると、短期的にはいいかもしれない。長期的に見ると。がんじがらめになってしまう。
結局、「こうすべき」の枠から抜けていないから。「こうすべき」を「なくすべき」って、もうなっちゃってるのかもしれないけれど。

もう死んでしまったらいいよなあ、と、いや死ぬわけない、実感もない。と、実行に移すことはまずまずないんだけど、気持ちだけ行ったり来たり。

こう見ると、すごく病んでる人みたい。
すごく、病んでるみたい。自分。

落ち込んでるんだよね、そうかそうか、と受け入れる自分を見つけるにも決めつけてしまいそうで、ただ出かけた涙をグッとこらえて、花粉の季節ですね、なんて、目薬を片手に人に会う。

なんかなぁ。

みんな、自分のことばっかりじゃん。
だから私は人のことを考えられるようになるんでしょう?
結局、それって見下してるだけだよね。
まずは与えよ。さすれば汝与えられん。
大切にする、って、自分は?
自分を大事にすることと、人を想うことは、矛盾してないよ。
けどどうしても止められない、どうして、なんで、って自分も周りも責めることも。

いろんんな気持ちがいっぺんに押し寄せて、整理しないまま打ち上げられたり、海に帰ったり、またキッカケでうわあって押し寄せて。

明日仕事なのが信じられないなあ。
働くって楽しいことだって、信じてた自分が眩しい。

え、働くのが楽しいことじゃないかって。
まだ信じてる。楽しくあれるって。
出来ない自分も、責める周りも、誰よりも自分をせめる私も。
え?って思うやり方で、言い方で、告げ口する周りも。
全部、変わらない。私の周りは、きっと。
いつも、前からわかってたじゃん。て、言う。
前から分かってたのに、なんで今更泣くの?って。

どうか、笑って。未来の私。
くじかれても、くじけそうでも。
辛くても、誰一人味方がいなくても。
一人でも、笑って。
そうしたら、いまの自分も頑張り甲斐があるでしょう。
何かビッグなこと、成し遂げる。それもいい。
ただ地味な毎日を大切にする。それも、いい。
受け入れられない自分。タヨウセイを、受け入れられない自分を、受け入れられない。自分。

周りと比べる。
こんなところができてない。って、足りないところばかりほじくって、もう血が出てんだよそこ。

なんか、ちょっと良くないかもなあ。
できなくて、自分を責めて、の繰り返しで。
できたことなんて、ひとつもないように、思ってる。

けど本当はきょういちにち生きれただけで奇跡。
歩いて、人と喋って、笑った。それだけではなまる。

当たり前だよね、って、誰も気づいてくれない。
誰か。っていつも思うけど、誰か、はいない。

とても悲しい。とても疲れている。
楽しい!だけじゃ、乗り切れない。

うつって、負けじゃないと思うんよ。
死ぬ前の、ちゃんと、体の防御サインやと思う。
きっと、社会からは負け組って言われるんだろうけど。

ゆっくりしていこう。
こんな、1週間、1年、なんだって言うの、仏の瞬きくらいって言うよ。
一回くらい、鬱経験しとこうよ、なんて、経験するものじゃない。

今日も、生きた。事実は、それだけ。
以上でも、以下でもない。
さあ、寝ようか。ねれるね。
おやすみなさい。


本を買います、って言える知的な人になりたかった。多分あれこれ使い道を夢見たあとに貯金します。