哺乳類だから陸でも生きていけると思っていたら自分はクジラだった話

思えば私は昔からどこか「どんな人間でもいつか分かり合える」「努力したらなんだってできる」と思っている節があって、それをある種の美徳にもしていました。
だからこそ明らか合わないだろう人にめちゃくちゃ興味を持って、うっとうしがられたりもしたのですが…。

今日は「自分がクジラだと気づかなかったお話」をしようと思います。

・人付き合いの普遍的なルール

16personalitiesってやったことありますか?
この診断結果では私はINTPでした。この型は基本的に社交を好まないのですが、例外があります。自分の言動で相手がどう反応するか観察して楽しむタイプです。誤解を恐れずに言うと「他者は会話実験のモルモット」だと思っている人たちです。
いわゆる実験を行なっている理由は「相手が誰であっても通用するコミュニケーションの普遍的なルールを知りたい」から。けど最近思った、もしかして普遍的に通用するルールなんてないじゃないのかな?

きっかけは全然会話が弾まない人と出会ったからなんですが、今までだと「会話が弾まないのは自分が未熟なだけだ」と思っていました。ただ16personalitiesにハマって自分や他のタイプの得意、不得意を網羅し始めていた私は思いました。「これってシンプルに合わないだけじゃね?」

・正しいってのは、多いってことだ。

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自分と合わない人に会った時、ケースバイケースだとは思うのですが、「自分が間違っているんじゃないか」と思うことってありませんか?相手が憧れの人だったらなおさらです。けど最近、時代や周りが正解にしているだけで、間違っていることって何一つないんじゃないかと思うようになりました。
ただ、それは自分勝手に好きなことをしていいこととは違います。
例えば私は都会っ子です。都会で生まれ都会で育ち、これからも町で生きていきます。もう蛇口をひねれば水が出る生活とは離れられないわけです。どれだけ人と会わずに生きていこうと、私は法に守られ、人に生かされた生活をし、気づかないうちにその利益を甘々と享受しています。その社会で得られるメリットが欲しいのであれば、ある程度合わせることは仕方ないと思います。
ただ、今の正解が全世界共通の正解ではないことも確かです。
例えば私は将来フリーランスになりたいし、できれば楽をして生きていきたいなあと思っています。怠け者なんです。けれど、これを言うと嫌がったり否定する人もいるだろうなぁと思うのです。
就活を通していろんな人に話を聞いて思ったのは、みんな言うことが違うってことです。多分それらは全て正解だし、結局選ぶのは自分なんだろなあと思います。

例えば今、自分の価値観や生き方を否定されたとしても、それが「正解」なんだとしても、きっとそれは「それをよしとする人が多い」だけなのでは。自分には息をしやすい場所があって、もしかしたらそれは今までの自分が常識としていた世界とは全然違っていて、それって「哺乳類だから陸で生きていけると思って必死に頑張っていたけど海の方が断然ハッピーなクジラだったわ」という気づきなんじゃないかな?となんとなーく思ったり思わなかったり。

そういうわけで自分のことをわかっている人を一番尊敬してます。
誰がなんと言おうと、「自分はこれがあればいいんだ」と言える人。
「自分はこの人とは上手くやれないけど、ここでだとイキイキする」と知っている人。
どんな道を選んでいたって、そういう人ってちゃんと、大切にしたいものを大切にできる気がするのです。

終わり。


本を買います、って言える知的な人になりたかった。多分あれこれ使い道を夢見たあとに貯金します。