誰かがいる?

誰かがいる気がする

中学生の時くらいから、家に家族でもゴキブリでもない誰かがいるような気がしていた。別に寝ている間に何か盗まれていたとか、そういう事件があったわけではない。寧ろ私の住む地域は治安が良い方で、空き巣なんて21年住んできて一度しか聞いたことがない。
そもそも私は『ほんとにあった怖い話』や『世にも奇妙な物語』を少し見ただけで夜トイレに行けなくなってしまうような小心者なので、自分でも自分の勘を信じられずにいた。


高校3年生の秋。
22:00に2階の自室で勉強……をするつもりでスマホをいじっていると、1階でもない、隣の兄の部屋でも両親の寝室でもない、1階と自室の間の辺りからスマホの着信音が聞こえた。私たち家族の着信音でもLINE通話の音でも無かった。一分もしないうちに止むし実害は無いのだが、まあまあ不気味で、しばらくは友達と通話しながら寝ていた。一週間程度でその音は聞こえなくなり、その後は父に殴られたりしながらも概ね平穏な日々を過ごしていた。

大学1年生の冬。
私はアルバイト(両親には隠してキャバクラで軽く働いていた)の関係で2:00~3:00辺りに帰宅する生活をしていた。その日もそのくらいの時間に家に着き、シャワーを浴び、髪を乾かし、アイスを食べながら『ゴーストバスターズ』を見ていた。
私は非常にだらしない性格で、食べ終わった後もアイスの袋と棒をソファの上に置きっぱなしのまま映画を見ていた。見終わった後、自室に上がるついでにアイスのゴミを捨てようと思うが見当たらない。そしてなぜか、既にゴミ箱に捨ててある。このだらしない私がわざわざ歩いて捨てるはずないのに。その後も、捨てていないはずのティッシュが何故か捨てられていたり……というような事が何度かあった。
それからしばらくは父との折り合いの悪さが原因で家にほとんど帰らなくなったので、そういった気味の悪い出来事に出くわす頻度は減った。

大学2年生の夏。
さすがに両親に絞られ、家に帰る頻度は増えた。また、昼のアルバイトに転職したので夜中に起きていることも減った。しかし、何故か軽い地震のような揺れで目が覚めることが頻発した。あまりに地震(仮)が多いので家の耐震性に不安を覚え両親に相談するも、家が揺れた事は一度もないと言われる。
そこから再び家に帰る頻度は大幅に減り、週の半分も家に帰らなくなる。
この頃から兄は毎日3:30頃に一度起床し、自室から出てリビングのソファで二度寝をするようになったらしい。理由は分からない。

父がおかしくなった

私の父はそもそも陰謀論者でネトウヨでヒステリックで暴力的で、おかしいかおかしくないかで言うと間違いなく「おかしい」側の人間だったのだが、とうとう更におかしくなってしまった。

大学3年生の冬。
禁酒をしていた父が、週に一度ビールや日本酒を飲むようになった。とはいえあまり大した量は飲まず、ビールは350mlを一本、日本酒は多くても猪口3杯といった具合だった。
ある日父から「日本酒を飲んだか」と執拗に聞かれた。自分が買った焼酎を部屋に置いてはいたし酒も好きだが、父の酒に手を付けたことは無かった(何をされるか分からないので)。
しかし父は自分の日本酒が目に見えて減っていたと怒鳴り、それから普段の生活態度にまで話が及び、私はぶん殴られた挙句部屋の酒まで捨てられてしまった。__しかし、私が飲んでいないとなれば誰が飲んだのか。
兄は酒が苦手で、20歳の誕生日にビールを一口飲んで「まずい!」と言って以来酒を飲んでいないし、決して軽度ではない知的障がい者の兄が父相手に嘘をつき通せるとも思えない。そもそも兄は父と不仲ではなく、飲みたいなら素直に頼める関係性だ。
また母も下戸なうえ、わざわざ父に隠れて飲む理由が無い。父は母を溺愛しているので、母が父の酒を飲んだくらいで怒るはずが無いのだ。
父がボケている可能性はあるが、母の方は意識がしっかりしているため父が飲んでいたのなら母が指摘するはずなのだ。

その日から、父は毎日仕事から帰宅するなり家中の“人が入れそうな”箇所を開けて回るようになった。前から意味もなく家の押し入れやらタンスやらを開けて回る事があったのだが、毎日同じ時間に確認するようになった。
そして家を改装し、廊下の灯りを感知式にした。しかし特に不審なことは起きないまま月日が経った。父は今でも週に一回ほど無意味に家の押し入れを開けたり、早朝に壁を殴ったりしている。

私がおかしくなったのかもしれない

そして先ほど。2024年4月29日23:39。
スマホのアラームのようなオルゴールの音がした。最初は父か兄が間違ってこの時間にかけたのかと思ったが、どちらのアラームもこのような音ではない。そもそも、家で一度も聞いたことが無い音だ。
またそのオルゴールの音が鳴ったが、今度は父と母が話す声もするので二人のものではないらしい。
だが、兄のものであれば眠りが浅い兄はすぐに起きて止めるはずだ。
またオルゴールの音が鳴った。兄が何やら一人でスキップしながらぶつぶつ話している(いつもの事)から、兄のものでもないらしい。
もう一度オルゴールの音が鳴り、止まった。
父も母も兄も、何も言わない。私だけに聞こえていたのだろうか。

昔の話

私が小学1年生の時。

私の4つ年上の兄は知的障がい者で、特別支援学級の生徒だった。兄の友人にAくん・Bちゃんという子がいて、母親同士が気が合うのかそれぞれの妹(小学2年生)と弟(小学3年生)も一緒に家族ぐるみでの付き合いがあった。Bちゃんの家が父親が不在なこともあり、父親は抜きでだったが。
近くのイオンに行ったり、体操教室に通ったり、Aくんの家でゲームをしたり。Aくんの妹もBちゃんの弟もとても優しくてよく相手してくれたし、お母さんたちも綺麗で面白かったし、何より家ではゲームが禁止だったのでA君の家に行くのはとても楽しみだった。

Aくんは体も弱かったらしい。確か心臓が弱かったはずだが、当時小学一年生だったためあまり覚えていない。
風呂に入っている時に発作を起こして意識を失い、溺れかけたことがあるという話を聞いて「体が大きいのに風呂で溺れるんだ」と思った記憶がある。Aくんのお母さんはそんな彼を心配して入浴中に何度も声をかけるようにしていたらしい。

私とA妹、B弟は一緒にくもんに通っていた。毎回ではないが、くもんの帰りに三人で遊んだり、家まで送ってもらったこともあった。
だいぶ日が長い八月のある日、くもんの向かいの家の友達の家で遊んでいた私は「もう少し遊びたい」と駄々をこねた。
A妹が「今日はお母さんもお父さんもいないから、お兄ちゃんに何かあったら困るから家に早く帰らなきゃいけないの」と言っても駄々をこねた。B弟の「ちょっとくらい良いじゃん」という言葉もあり、A妹は少しだけと言って一緒に遊んでくれた。私は結局疲れてそのあとすぐに帰ったが、A妹とB弟は相当長くまで遊んでいたのだろう。二人から直接聞いたわけではないが、たぶんそうだと思う。

その翌々日、Aくんが死んだと聞かされた。

葬式の記憶はあまり無い。
Aくんの母親は私たちを責めなかった。そもそも知らなかったのかもしれない。それどころか、「毎年Aくんの命日に集まろう」と言ったらしく、私たちは毎年お盆の辺りに嫌でも顔を突き合わせることになった。
Aくんの両親が離婚しても、A妹が得意だった水泳をやめても、B弟が学校で私たちと全く話さなくなっても、Aくんが描いた絵や作ったティッシュケースや大好きだった『ゲゲゲの鬼太郎』のクッションが残るリビングで毎年8月に顔を突き合わせた。
何となくそんな8月が、地元を離れるまでずっと続くと思っていた。

だが、高校2年生の夏を最後に、私は受験勉強の重要度さえ上回るその集まりから解放された。コロナによって。
それ以降、私たちは一度も顔を合わせていない。正直、Aくんの事もかなり忘れていた。

最後に

勿論、この不思議な現象がAくんのせいだとは思っていない。
Aくんが原因なら毎年夏に起きるだろうし、そもそもAくんはそんなまどろっこしい事をするタイプには見えなかったから。最近暑くなってきたからか、何となくAくんを思い出した。
でももしAくんのせいだとしたら、それが一番良いなとも思う。 

余談だが、B弟は結婚するらしい。今はもう大して親しくないので、結婚式には呼ばれない。ただ、「将来結婚するとき相手にも相手の家族にも『姉が障がい者です』なんて言えないよなあ」と言っていた彼が、それを乗り越えられたのはとても素晴らしい事だと思う。

オルゴールの音が怖くて気を紛らわせるために勢いで書いた文章なので非常に読みにくかったと思いますが、ここまで読んでくださってありがとうございます。

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