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人生は残り438,000時間


「一年間って何時間だっけ?」


と聞かれたら、私は即座に「8760!」と、やや食い気味に答えることができる。これはなにも、頭の中で「24時間×365」の解をインド式計算法を使って暗算しているわけではない。

簡単なことで、ただ答えを「知っている」だけである。

そのうちの2,500時間ほどが睡眠に使われることも知っているし、
2,000時間以上が仕事に使われることだって知っている。
丸10日間ほどはトイレの中に籠っていることだってもちろん把握している。

なぜこんなことを把握しているのかと言うと、
「一年間をどう使うか?」について、年の瀬に計画を立てるからである。

「来年はどんな一年にしようかな~」と、あれやこれやと『やりたいこと・やるべきこと』をリストアップしていく。

リストアップされたもの見て「これだけできれば満足でしょう!」と思える内容になっているかどうかをチェックする。そして自分基準の合格ラインを越えていたら、そのリストを壁に貼り、それが達成できた1年後の未来を想像して、深夜に一人「キヒッ..キヒヒッ..!」とニヤニヤ顔で悦に入るのである。甚だ気味の悪い光景である。


そしてこの時に一つ、欠かすことのできない大事な要素がある。
それが、「このリストってちゃんと現実的に達成可能なんだっけ?」という"リアルな視点"を入れることである。

どういうことかと言うと、例えばその中に「○○の資格を取る」というものがあったとしたとき、ただ資格を取ることを漠然とゴールに掲げて一年をスタートさせてしまうのではなく、もう少し踏み込んで、

「○○の資格を取るためにはどれだけの時間が必要なんだっけ?」というところまでざっくり考えるのである。

例えば資格取得のためにスクールに通う場合、講義が週に1回8時間、片道1時間の移動も合わせれば10時間、これが半年間で全25回。計250時間。

それ以外にも講義の復習や関連書籍の読み込み、試験対策の過去問勉強などで週5時間×25週。計125時間。合計で250時間+125時間=375時間となる。

これは日数にして15日ほど。
ふむ、トイレに籠ってる時間よりは長い。

とまぁこんな具合に、同様に他のリストの内容もこうして概算してみて、それを「8760」から引いていくのである。

そうするとあら不思議。なぜか自分だけ神様から1日26時間も与えられることになっているぞ、と気づくわけである。

どこかで『精神と時の部屋』に入る手筈になっているのであれば話は別だが、残念ながらそんな予定もない。

ということで、ここから計算結果がちょうどいい具合になるように、リストの内容を取捨選択したり、目標値を下げたりなど調整を加えていくわけである。

これで晴れて実現可能性の高い"リアルな目標"ができあがることになる。


そして"リアルな目標"を立てることで得られるもう一つの利点は、達成できなかった時に自分の弱さが可視化されることにある。

そう、「本来達成できるはずだったのに達成できなかった」ということは、のっぴきならない事情がない限りは「やる気がでなくてサボってしまった」とか「誘いを断れず何度も飲みに行ってしまった」などが原因で、

詰まるところ、自分の怠惰が招いたことであり、誘惑に負けたことがいけないのである。大いに反省すべきことである。

しかし、反省すべき点がわかればそれを改善すればいいだけの話で、
そうやって改善を重ねていくことで毎年きっちり成長していくのである。

成長することで、より有意義な時間の使い方ができるようになるし、時間の密度を濃くしていくこともできる。


今年で私は29歳になる。80歳まで生きるとすると残りは約50年、
つまり24時間×365日×50年=438,000時間 というのが、私に残された人生である。意外と少ない。しかも120,000時間は寝てるし。

うん、時間は無駄にできない。
とりあえずトイレ行こう。

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