【庵野秀明の「シン・ゴジラ」】を観て思った、特に中身の無い話。

*ゴジラを守れ ゴジラは神だ

 庵野秀明って人は、神様が嫌いらしい。
 「ふしぎの海のナディア」では神を騙る者が黒幕だったし、「新世紀エヴァンゲリオン」では神の使いが敵だった。「トップをねらえ!」の宇宙怪獣もそうだが、超越的な立場から世界をコントロールする、言わば【運命】みたいな物が嫌いなように思える。

 「シン・ゴジラ」におけるゴジラは、従来シリーズから諸設定が大きく変えられている。ただ【大戸島の伝説に記された荒神】が名前の由来という点に関しては、初代ゴジラの設定が踏襲されている。そこだけが踏襲されているというのは恣意的だ。

 また、劇中語られるように、「シン・ゴジラ」のゴジラは【強靭な一匹の生物】でなく、全世界を破滅に導く【運命】的な存在だ。そしてゴジラを仕留める最終作戦には【ヤシオリ作戦】,実行部隊には【アメノハバキリ】のコードネームが与えられていた。日本神話から引用したこの名前で、ゴジラは荒神・八岐大蛇になぞらえられている。

 タイトルの【シン】が【神】のミーニングを匂わせるのは勿論、本作のゴジラは、庵野氏が嫌う神として定義されているのだろう。

 八岐大蛇と言えばダイコンフィルムの最終作「八岐大蛇の逆襲」が存在するため、【グローリー丸】や【非常時にアニメを放送するTV局】のような【特に意味のない(作劇的なミーニングのない)パロディ】であるとも考えられるが、個人的にはラストカットも踏まえて深読み(という名の妄想)をしていきたい。

 「シン・ゴジラ」のラストカットでは、ゴジラの尻尾が大写しにされる。ゴジラの出現シーンも尻尾からであるように、本作ではゴジラの尻尾が妙に象徴的に描かれる。個人的には、【ゴジラ=八岐大蛇】と考えると、その尻尾には草薙剣(天叢雲剣)のミーニングが籠められているのではないのか? と思えるのだ。

 自衛隊によるゴジラ攻撃作戦が開始される直前のシーンで、撃滅したゴジラの市街を復興財源に活用できないかと語られるシーンがある。これは「楽観的観測である」として一蹴されるが、終盤にはゴジラの細胞組織から「脅威にも福音にもなる」性質が明らかになる。

 ゴジラの尻尾には、大打撃を受けた日本(直接被害は首都圏のみだが、通貨や株式の市場は壊滅的だろう)が復興するための【武器】となる事が暗喩されているのではないだろうか。

 ただ、武器の扱いには当然として危険が伴う。伝説には、「熱田社に祀られた草薙剣がある僧に盗まれた後、一時的に宮中で保管していたところ、天武天皇が祟られた」というエピソードもある。流石にそこまでミーニングされているとは思わないが、ゴジラの組織が誤った使い方をされれば、災厄は再び日本を襲うのだろう。


*ゴジラを殺せ ゴジラは敵だ

 庵野氏は神様が嫌いな一方で、【勇気と知恵と善意】で自分の運命を切り開いていく人間の姿は好きなようだ。それは例えばノリコだったり、ジャンだったり、「新世紀エヴァンゲリオン」の序盤だったりする。

 神であるゴジラに対し、人間は余りにも非力だ。自衛隊がヘルファイアやAPFSDSなどでタコ殴りにしても動きが鈍る程度、JDAMの直撃は多少効いたようだが、本気で怒らせるにも至らない。米軍によるB-2からのMOP投下は小さくないダメージをゴジラに与えるが、ゴジラは激昂してB-2部隊を撃墜する。もしかすると核攻撃が実行されていれば斃せていたかもしれないが、それには物理的破壊と放射能汚染の2面で大きな代償を求められる。

 そんなゴジラに対する切り札となったのは、やはり【勇気と知恵と善意】だった。ゴジラの脅威と核攻撃のカウントダウンを恐れない勇気。ゴジラの体組織や諸資料を分析する知恵。ドイツのスパコン施設や製薬プラントなど、そしてヒントを遺した牧博士の善意。余談ながら、【超常的なまでの生命力を持つ存在】に対して【直接的な武力攻撃】は効果が薄く、【人間の科学と意志】こそ有効であるというのは、「新世紀エヴァンゲリオン」とよく似ている。
 まあ、APFSDSやMOPも、或いはN2爆弾もジェットアローンも、知恵の結晶であって、それを運用するのは勇気ある者達だけれども、作劇上のミーニングとしては【武力】以外の位置づけは無いだろう。

 ただ人間の勇気と知恵と善意が好き=理想であるのは、逆に「人間は臆病で無知で悪辣な群体だ」と思っているからという気はする。そして、そんな(庵野氏にとっての)現実を直視しないといけない「エヴァンゲリオン」シリーズを書いていると精神を病んで、理想を視ていられる「シン・ゴジラ」では生き生きとしているのだろうな……と思ったりもする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?