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0726「世界が溶けていく」

昨日は、いつもお仕事をご一緒させて頂いているというか、BASSDRUMのお金まわりでお世話になっている、というか完全に依存している方と、「徹底的に飲む」ためにお時間を頂いた。ニューヨークにいると、なかなか人と「徹底的に飲む」機会が無いので(たまにあるけど)、「徹底的に飲む」のは本当に良いなあと思った。たまの東京ではあるから、久しぶりにご挨拶をするべくいろんな方のお時間を頂いているが、昨日は1つ、メールでの連絡を思い切り忘れていたので、脳がパケ詰まりを起こしている感じもあって気をつけなくてはならない。

こういうしょうもない日記を毎日発信できるのも、真面目に仕事をやり、真面目に人に連絡をしてこそだ。「あいつは連絡を返してこないのに日記ばかり書いている」とか思われると、私の信用スコアは激下がりするし、私も連絡して欲しい人が返事くれないのに自分ではない他の人たちに向けて発信ばかりしていると、頭にきたりすることがある。が、東京にいると、同時実行プロセスが多くなってしまって、結構こういうパケ詰まりが起きる。

「徹底的に飲む」という表現に出会ったのは、藤子不二雄の「まんが道」だ。藤子不二雄Aの自伝的作品である「まんが道」で、主人公の満賀道雄が、漫画家として上京する前に勤めていた立山新聞社の虎口学芸部長が「今夜は徹底的に飲むぞ」的なことを言う場面がある。あれ、もしかしたらテラさんだったかもしれない。ともあれ、どのコマだったか忘れたが、その「徹底的に飲む」という表現に、初めて「まんが道」を読んだ小学4年生くらいの私は結構やられた。自分の中で「徹底的に飲んでいる人」といえば虎口学芸部長だ。 

生きているとたまにこういう、どうでも良いんだけど頭から離れないコマとかフレーズというものが出てきて、このへんに、人間の脳というものの愉快さがあるな、と思う。このへんは機械学習・深層学習や、いわゆるAI云々的なものでは到達できない人間の脳の「エラーが楽しい」側面だなと思う。

「徹底的に飲む」って、どういう感じなのだろう。時間無制限に、酒を飲んで飲んで飲み続けるのだ、ということはわかるが、小学4年生だとさすがに酒を飲むとどのように酩酊するのかもあまりイメージできないため、「全然酔っ払ってるんだけどさらにそこに酒を注ぎ込む感じで飲む」「翌日のことを考えずに断続的に飲む」感じ、物理的な酩酊感だけではなく、そこにいる相手と徹底的によくわからなくなるまでしゃべる感じ、時間に対してリミッターが外れている感じ、というのは実際に「徹底的に飲む」ことをしないとわからない。

「徹底的に飲む」というのは、普通に酒を飲むのとは違い、徹底的に飲むということなのだ。

アルコールの薬効作用は、ある種自分の意識を消し込んでなかったことにする、というところがあると思う。サウナなんかだと、ちょうど発売された「マンガ・サ道」にも描いてあったが、「思考」から「感覚」になる感じがあるが、アルコールは、思考と感覚が混じり合って化学反応で消えちゃう、というようなところがある。それは普通に酒を飲む場合でもそうなったりするが、「徹底的に飲む」と、周囲や社会や時間、そして徹底的に飲んでいる相手と混じり合ってしまって、世界が溶けていく感じがある。世の中には徹底的にやると概念がクラスチェンジすることがある。

昨日そんな感じで飲んだのに、昼間から酒でも飲みたい気分ではある。浅草のウインズの横のへんで酒が飲みたい。ここで飲んだら、さらにネクストフェーズに行けるのかも知れない。

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