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0517「ブログ読んどいてくれ」

今日はかなり現場に詰めて、バタバタと過ごしたはずだ。はずだ、というのは、私はこの文章を前日の明け方に乗っていた飛行機の中で書いているからだ。なぜ未来の日記を前日に書いているのかというと、今日という日が相当バタバタするので日記なんか書いてられないだろうからだ。ついでに言うと土曜日も現場に詰めているはずなので、もう1日分書いといたほうが健康には良いだろう。なんでこのくそ忙しいのに日記なんか書かないといけないのか。

昨日書いた「陰毛差別は不毛」も、脳内の引き出しを適当に開けて書いた。精神状態が結構悪いので、というか、わりと腹の立つことが多く、頭から煙が出ているので怒りトーンで書いたが、次の日の日記を書いているのは、この「陰毛差別は不毛」を書いた直後なので、まだ全然怒っている。そう考えると私は何かのストレスに対する腹いせに「陰毛差別は不毛」について書き殴ったのかもしれない。そんなことを考えると余計に情けなくなって泣けてくる。

昔、自分が仕切った制作案件で、制作を他社に外注したことがある。その他社が、その案件を実績として雑誌なりに掲載してしまったことで、とても強く怒られてしまった。

もちろんそういう掲載は、基本的に許可を得るべきだろう。しかし、これにはいろんなスタンスがあって、許可を通さずに自分たちでコントロールするスタンスの人すらいる。ただ、契約なりで縛っていない限りは、「ダメ」なんていう権利はないし、その人たちがそれをつくったのは事実なのだから、基本的にはそれを表で言っても良いはずなのだ。実際につくっているし、「つくってるって言っちゃダメ」なんていう事前契約なんてしていない。

私の進め方やチェックには非があったのでそこは誠意を持って謝罪させて頂いた。私の管理不行き届きというやつなので、私が悪い。しかし、何が言いたいかというと、基本的にはつくったものをつくったと言えない、というのは健康な状態ではないし、つくったものを「俺がつくったんだ!」と自慢できるくらいでないとそのつくったものはショボいということになる。「私たちはお金のためにものをつくってるんじゃありません」なんていうのは制作のスタンスとして美しがられがちなフレーズだが、その奥底には、お金があろうがなかろうが大事にしているものがあるよ、ということを示唆していると思う。お金はもちろん大事たが。

だから、自分が逆の立場になって、「これ、あなたたちがつくったって言っちゃダメ」なんて言わなくてはいけなくなったとしたら、そりゃ言行不一致ということになる。

つくった人がつくったって言えるべきなのだ。その人たちがいないとつくれていないのだから。そこを取り違えた先にあるのは、金でしかものを買うことができない、100%の「お客さん」だ。そんな寂しい立場で物を作ったって、私は何も面白くないのでそういうのはやらない。

私がこの仕事しているきっかけがそもそもそのへんにある。そこは曲げられない。

そのへんのきっかけを昔ブログに書きました。「清水はクレジットの話になると、なんかいろいろうるさいなあ」という方は、私の攻略マニュアルだと思って、是非、ご一読ください。


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