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0527「中学受験はクソ」

アメリカは今日はメモリアル・デーという国民の休日で、設営中の現場も開かないので家で作業したり、間引き運転している。昨日は長男の宿題が終わらなくて家族で外に出れなかったので、全員で出かけられればと思ったが、免許は失効してるし、夜に打ち合わせはあるしで結局昼飯だけみんなで食べに行って、わりと家にいた。

子供が中学に上がったりすると、真面目に勉強をしてもらわなくてはならなくなる。いや、小学校の頃から勉強はしなくてはならないのだが、アメリカに住んでいるし、日本式の中学受験などをやる必要もなかったので、あんまりゴリゴリやってこなかった。

と同時に、中学受験みたいな行事に子供を巻き込むことで、いろいろ壊れてしまう大事なものがあることを自分自身知っていたので、本人のやる気が余程無い限り、この年令で一生懸命勉強をしまくることに肯定的になれなかったのだ。人間生きていると、どのみちなんらかの障害に触れることにはなるし、その中で屈折もする。しかし、私自身は小学校のときに、つまりまだまだ十分子供の段階で、「良い学校に入る」ということの代償として屈折に屈折を重ねてしまったことで、良いことがあったかというとたぶん良いことがなかったので、どうしても「勉強をやらせる」ということに積極的になれない。というか、中学受験などというものは無くなれば良いと思っている。あんなものは不幸しか生み出さないと思う。

ちょっと前に読んで、「あー。本当にそうだよな」と思ったのがこの記事だ。この記事はとても話題になった記事だが、とても大事なことが書いてあると思う。

私もこの方と同じように、東大に入った。東大の中でも文系で一番入るのが大変な文1=法学部に現役で入ったのですごいというか、その頃が人生のピークだったような気がする。その後すぐに、「あ! 法律全然向いてない」ということに気づき、授業に出ないで楽器吹いたり仕事したりしながら「マンガで読む民法」とかで試験をしのごうとして、卒業できればかっこよかったんだが、結局卒業できずにタイムオーバーで中退することになった。いまは法律とは全く関係のない仕事をしている。いや、テクノロジーとかクリエイティブとか、実は法律と関係なくもないので「真面目にやっときゃよかった」「卒業しときゃよかった」なんて思うが、真面目にやっていなかったので全くわからない。甲とか乙とか、もうよくわからないから普通に名前で呼んでほしい。

甲とか乙とかでいうと、「罪と罰」を青空文庫でダウンロードしてきて「ラスコーリニコフ」とかの登場人物名を甲とか乙とかに変換すると、全体の文字数が結構減る、というのをやってみたことがある。「罪と罰」は、登場人物の名前を極力短くすればあそこまで分厚い本である必要がないのだ。

で、話はそれたが、一応東大生なので、この「東大を舐めている全ての人達へ」については共感するところがとても多い。中でも「中学受験編」だ。これはもう、読んでいてわかりすぎるし、痛すぎる。私も、もはやこの方とだいたい同じような経緯で中学受験の沼に入っていったところがある。

「一番上のクラスにいったらPS2買ってあげる。」
親のその言葉で、僕は本気で勉強をすることになりました。

時代はこの方より全然前だが、私も小学4年生の頃、ディスクシステムの「リンクの冒険」(「ゼルダの伝説」の続編で、スーパーマリオみたいな横スクロール構成の変わったゲームった)が欲しくって、日能研の模試で良い点を取ったらそれが買ってもらえる、ということで試験を受けたのだ。

で、

親の期待に応えた。「これでPS2も手に入る!やったぜ!」そう思っていました。それが地獄の始まりだとも知らずに。

これも全く同じで、私も「リンクの冒険」を入手したが、試験で良い成績を取った私は、その後中学受験専用の塾?である四谷大塚に入ることになり、全ての生活が四谷大塚で毎週末行われるテストを中心にして動くことになった。ゲームをする時間などないし、させてもらえない。テレビも見てはいけない。そこそこいじめの対象になっていたので、学校に行くのは辛い。その辛い学校から帰ってきたら寝るまでずっと勉強をしなくてはいけない。

僕もそういう環境に身を置いていました。泣いても許してはもらえません。泣いてる時間が無駄ですからね。手を動かす。教科書を覚える。暗記する。解く。わからない。手が止まる。罵声が飛ぶ。

これなんかもめちゃくちゃよくわかる。自分の場合、勉強部屋(狭い家だったので勉強部屋がなくて、寝室みたいなところを締め切って勉強部屋にしていた)で1人で勉強していることになっているときに、一人になったら速攻で答えを見て答えを写して終わったことにして、妄想の中に逃げていた。自分で想像した新しいゲームを脳内でプレイして楽しんでいた。で、それは完全にはバレなかったのだが、ある日微妙にちゃんとやっていないことが母にバレて、「そんなに勉強したくないならやめちゃいなさい!」などと、3階の窓から参考書を投げ捨てられた。私は泣き叫んでいたように思う。

まあ中学受験が辛いメインの理由としては、親の方が体が強いからですね。
親に殴られた時に殴り返すじゃないですか。そうすると親はより強い力で殴ってくるわけですね。

小6では、親に逆らえないのだ。このへん、もう本当に読んでいて泣けてくる。この年になって、「ああ、自分だけじゃなかったんだ」とか思う。

既に年老いた母を糾弾したいわけではなくて、こういうことがあっても総じて母には感謝はしているので、別に今更それをどうこう言いたいわけではない。しかしこの経験は、自分にとって「小4の後半に親が豹変する」という経験になってしまった。それまでずっと優しかった母が、あのときを境に豹変して、「敵」になってしまった。優しかった母が恋しくて、いつも思い出していた。小4なんて、まだ親が世界の大きな部分を占めているのだから、その関係がいきなり変わるのは重大なことだ。何しろ43になっても、あのときの辛さがフラッシュバックするのだ。そしてグズグズとこんなところに何かを書いている。「あのとき苦労しておいて良かった」などとは1ミリも思わない。ああいう苦労と孤独を、小学生が体験する必要は全くない。親離れ・子離れにはグラデーションが必要だと思う。

中学2年くらいなりになって、正当に親離れが始まるまで、親は子供の味方であり、仲間であるべきなのであって、敵として立ちはだかるのはもうちょい後で良いはずだ。別に勉強なんて小学生のときやんなくたって、もうちょいでかくなってからやれば良い。中学受験に成功して良い学校に入ったとしても、謎のエリート意識とかプライドを持ったダサい物知り中学生みたいのが量産されるだけで百害あって一利もない。自分がそういう中学生だったからわりと断言できる。

そういう状況を生み出さざるを得ない「中学受験」というシステムはクソだ。

四谷大塚も日能研は腹を切って死ぬべきである。また彼らはただ死んで終わるものではない。唯一神又吉イエスが彼らを地獄の火の中に投げ込むものである。詳しい理由は選挙公報等で熟知すべし。だ。

みんなにも読んでほしいですか?

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