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0806「赤ちゃん返り」

今日は、BASSDRUMでもご一緒させて頂いているsiroの松山さんのオフィスに遊びに行くことになっていて、生田まで行ってきた。そもそも駅の外が死ぬほど暑くて、思考ができなくなり、「暑い」以外のことを考えられなくなっていた中、Google Mapsが示した松山さんオフィスへのルート通りに歩みを進めると、なんか知らないけど永田町のエスカレーターみたくクソ長い階段が。絶望して、途方に暮れたが松山さんを待たせるわけにはいかない。

心の中で放送禁止用語を1段ごとにつぶやきながら階段を上がっていく。

「●●●!」「●●●!」「●●●!」「●●●!」

暑い。涼しいところに行きたい。しかし、明日詳述するが、明日からの休みで私はもっと暑いところに行く。

昨日は、昨日の日記に書いたように、玉結びに失敗しまくって辛くなってしまい、結局諦めた後に会食的なものに出かけた。そこでのコミュニケーションの中でわかったことがいくつかあった。

私は、玉結びをしなくてはならなかったのではなくて玉結びは過程に過ぎない。本来は裁縫仕事をして完成させるべき成果物があって、それをつくるためには必ずしも玉結びが必須ではなかったのではないか。他の方法があったのではないか。つまり、玉結びができないことを理由にしてすべきことから逃げていたのではなかったか、ということ。

そしてさらに気づいたのが、私は妻に構ってほしかったのではないか、ということだ。
玉結びができなかった過程の中で、妻に何度も泣きのメッセージを送信していた。玉結びができなくて辛い、どんどん糸がほどけて消えてなくなってしまいたい。人間的欠陥がひどい、とか、自己肯定感の低さをアピールするメッセージを送っていた。

私は妻に対してこういうことをたまにやってしまう。妻に必要以上に絶望や自分のダメさを発露する。それはつまりどういうことかというと、暑さもあり、もはやかなり疲れていたので、私は妻に介助されたかったのだ。赤ちゃん返りしていたのだとも言える。

43にもなって、妻に対して赤ちゃん返りもくそもないが、実際今朝、妻の実演通り玉結びにトライしたら玉結びできたし、恐らく昨日だって、途中で妻に甘えるモードにならなかったらどうにか玉結びができるようになったのかもしれないし、他の方法を模索できたのかも知れない。玉結びの失敗を繰り返す中で、一生玉結びができない哀れな赤子になってしまっていたのだと思う。

暑さは怒りと区別がつかないという。そして、怒りというのは、その相手に甘えている感情とも言えるのかも知れない。甘えてはいけない相手に怒ることはないかもしれないし、人間、「この相手には怒りを理解してもらわないといけない」という場合にのみ怒りを発露するような気もする。

みんなにも読んでほしいですか?

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