1130「網膜に焼きついた何か」

昨日自覚した飛蚊症はかなり心配だったので、眼医者に行ってきた。そもそも大学時代に緑内障のリスクがあると医者に言われたことがあったものだから、緑内障の初期症状である視野狭窄が始まったんじゃないかと思って相当ヒリヒリした。

うちの母方のおじいちゃんは失明していたのだけど、確か緑内障で失明していたし、ハゲてるところから何から結構似てるのでやはりまあまあ思い出した。このまま失明なんてしちゃったら、子どもたちが育ったの見れないよなーって思ったり、孫ができても孫の顔見れないよなー、なんてそんなことばかり考えていた。
それでいうと、おじいちゃんはたぶん、私が生まれたときには光を失っていたので、私の顔を見たことがなかったんだろうと思う。私のことを抱いてかわいがってくれたことはあったらしいのだが、そのことはあんまり覚えていない。物心ついたらおじいちゃんは寝たきりで、次の瞬間には亡くなっていた(子供の時間軸での体感的に)。

というわけで、今日は初めてその頃のおじいちゃんの気持ちを想像した。シンクロしたのかもしれない。何も見えなくなってしまったけれど、小さい孫を初めて抱きかかえて、頭を撫でて、匂いを嗅いだとき、きっと視覚以外の五感で一生懸命私の存在を確かめて、何も見えないことなんか後悔しないで、ただただ嬉しかったんだろうな。

うちの母は、早いうちに結婚して離婚して出戻って、10歳近く年下の謎の詩人を名乗る若者(父)を連れてきて結婚して、恐らくおじいちゃんは娘の未来とか家庭がまだまだ全然心配で、けれど自分は失明してしまって寝たきりで何もしてやれないし、というようなタイミングで生まれてきたのが私だった。私にも娘がいるし、きっと、想像を絶するぐらい、失明とかどうでもよくなるくらい、嬉しかったんじゃないかと思った。ありがてえな、って思って、なぜだかニューヨークのアッパーウエストサイドの眼科の待合室で泣けてきてしまった。

眼圧を測って、瞳孔を広げる薬を入れて、眼底検査をしてもらった。目の病気系の英単語を結構覚えた。緑内障はGlaucoma。網膜剥離はRetinal Detachment。なんていうか、かっこいい。バンド名っぽい。Retina DisplayのRetinaって、「網膜」って意味だったんだなって初めて知った。
で、結果、眼底出血も無いし眼圧も正常だったので、緑内障もといGlaucomaではなかった。網膜剥離の初期症状の可能性は無くもないからちょっと様子を見る、ということになった。

瞳孔を広げてしまって明るいところに行くと眩しいので、会社には自宅作業の旨を伝えて、自宅に戻った。自宅に戻って、目を瞑って次男の頭を撫でて、匂いを嗅いでみた。目を開いたら、小さい男の子が笑っていた。

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