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0908「もうええねん」

日曜日かつ、時差ボケ直し中なので、外出を最低限にしつつ、引き続き溜まっていた「いだてん」を一気見する。「いだてん」関連の話題といえば、大河ドラマ史上最低の視聴率、ということではあるが、中学生の頃からわりと大河ドラマの人だった私にしてみれば、正直なところ、大河ドラマの面白さ・良さと視聴率は全く関係ない。そして何より、私はだいたい10回分くらい「いだてん」を見逃していたが、貴重なお休みに10回分も通しで見ることができる=見る気になる、というだけでそれはそれだけ素晴らしいドラマだということだと思う。つまんなかったらそんなに通しで見れない。少なくとも私にとっては今年の「いだてん」は「超当たり」だ。全体のストーリーテリングの素晴らしさもそうだが、各回ごとの濃密さがすごい。捨て回が全然ない。

「いだてん」の何が面白いかとかそういうのはいろいろなところで語られているから良いとして、日本のネットニュースなどのマスコミがいろいろな番組やコンテンツについてニュースにするときのしょうもない切り口には辟易する。「いだてん」もそうだが、ちょっと視聴率が低いと、「危険水域」とか「史上最低」とか、そういう言葉を使って煽る。なぜ視聴率が悪いのか、という原因を「時代と視聴者層を読み違えた愚かなNHKの人たち」みたいな図式にして叩く。たぶん実際のドラマをロクに見ないで数字だけを見て否定的なベクトルの記事を書く。

ネットで数字を取れる記事は、攻撃的で断定的なものばかりで、複雑な論評は読まれないし、ざっと流し読みして「いい気味だ」と思えるような、コンパクトな攻撃記事ばかりがニュースの見出しに踊る。テレビ番組の低視聴率や何らかのコンテンツの不人気を嘲る記事には、そういういやらしさが漂っている。

「あそこに失敗している人たちがいるぞー」と叫んで、読者と一緒に、「バーカバーカ」と指を差して笑う。嗤いたいことが一義なので、その対象が他にどんな良いことを主張していようが、事実が別のものであろうが、そういうものは無視される。どんな相手でも、真剣に向き合って理解しようとしたらそんなに嗤えるものではない。

だから実際に会って話した人を叩く人というのはそんなに存在しない気もする。現実世界で知っている相手だったら、多少なり真剣に向き合わざるを得ないからだ。そういう意味で、ネットというのは、相手と真剣に向き合わなくても良いシステムとして確立してしまっているから厄介だ。

だいたい、「叩く」という言葉が誤解を招きやすいが、ネット上で誰かを叩いている人・一方的に論評している人というのは、ヤフコメとか茂木さんとかを見てても、相手に対して優位に立って、上から嗤っているだけなのだ。

というような哀しいインターネットと自分の膠着状態が、考えてみればもう8〜9年くらい続いているような気がする。ソーシャルメディアというものが登場したときに、その語感も含めて、すごい嫌な予感がしたのだが、いい加減どうにかならんものだろうか。名著「ソーシャルもうええねん」からもう7年だ(私がこれを知ったのは2年前とかだけど)。

明日からニューヨークの社会人に戻らなくてはならない。怖いけどがんばろう。

みんなにも読んでほしいですか?

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