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0921「アメリカの中学でやってること」

数日前書いたように頭をからっぽにしようと思って、妻に無理を言って一晩車を借りてドライブをさせてもらった。移動を目的とした移動は、脳から余計なものを洗い流してくれるからとても効果的だ。スライド型の絵合わせパズルみたいなもので、脳に隙間が全く無いと、何も整理をし始めることすらできないので、これは本当に良かった。デフラグが進んでいる感じがまあまあする。

ところで、うちの長男はアメリカの公立中学校に行っている。ニューヨーク市立だ。移住して最初の4年はニュージャージーの日本人学校にスクールバスで通っていた。もともと小学1年生の一学期だけ日本の公立小学校に行っていた。私の母校でもあるが、私はあの学校はなわとび原理主義だったのでまあまあ嫌いだ。学区が同じだったから行っただけで、別に推奨したわけではない。「なわとび原理主義」についてはこの記事を参照されたい。

日本人学校というのは何しろ日本人の学校で、英語の授業なんかはあるのだが、やっていることは基本的に日本式の教育で、日本の算数のドリルをやり、漢字の書き取りをやる。これらはやはり大事なことで、日本の教育を受けた生徒の計算能力や数学の勘所というのは良いと言うし、漢字はちゃんと覚えないと日本語の本が読めないし文章書けない。なんだかんだ日本語そのものも、日本語のコンテンツも最高なんでそれはちゃんと享受できるようになって欲しい。

で、子供が増えたり、いろいろあって、4年生の後半から本人の同意を得て家の近所の公立学校に転校することになった。この公立学校は結構すごいところで、トイレで不良が待ち伏せていたりと、北斗の拳みたいな世界だったらしくて、長男はどうにかやっていきつつも、結構やられていた。

「これは可哀想だなー」というのと、ニューヨーク市は中学校に上がる際にかなり面倒な入札システムみたいのがあるので、同じく近所にあった「くじに当たると入れる」幼稚園小中一貫の公立学校にダメ元で応募したら、運の良いことに入れてもらえることになったのだ。なので、小学5年生の最初からまた転校して、新しい学校に行くことになった。

この学校は雰囲気も設備もとても良い学校で、彼はもう2年ちょい、この学校に通っている。兄弟は入学が優遇されるので、この9月から次男も同じ学校の幼稚園に行っている。

ニューヨークの公立学校の、学校のグレードによる「エグい人種構成の違い」みたいのは、また別で書こうと思う。

そんなわけで、「アメリカの学校に通う中学生の親」をやっているわけだが、驚くのが、授業でやってることの違いだ。違いはたくさんあるのだが、なんていうか「すごいなあ」と思うのは、中学生にして、社会に出た際に実戦で使えそうなことを実戦で使えそうな方法でやっている。

宿題というのは基本的にGoogle Classroomで先生からオンラインで出されて管理される。Googleに全部握られちゃうのもどうかという話があるが、生徒は全員例外なくGoogleアカウントをつくらされて、「今日の宿題はこれ」とか、「明日の予定はこれ」みたいのが全部これで通達される。

そこでやっていることは、プレゼン技術の学習とかで、自分の考えを主張することをみっちり求められる。「○○についてどう考えるか?」みたいなのがメインだ。日本の学校みたいな記憶力勝負みたいな内容をやっている様子がない。

で、数日前、長男に、「最近授業でつくった」というものを見せられて戦慄した。

それは、Google Slideでつくったかっこよさげなプレゼン資料だったのだ。

しかも、よく聞いたら毎週のようにこういう資料をつくっていて、授業でこんなんばっかりやっているらしい。8つくらいつくっていた。本人の許可を得て、そのうちの1つをコピーして公開してみる。「古代エジプト文明について解説する」というスライドらしい。贔屓目かもしれないが、すごくよくできていると思う。再生ボタンを押すと、ちゃんとスライドがアニメーションする。 しかし、他の生徒も同じようなクオリティでつくってくるらしい。

アニメーションはもっと小気味よいほうがいいよね、とか、レイアウトは改善の余地があるよね、とか、「この謎のキャラクターは何なの?」とか、普段仕事でこういうのをつくったりしている身からすると思ってしまうが、それが突きつける事実は、長男は、親が普段仕事で使っているのと同じツールで、本質的には同じような技術を授業で学んでいる、ということだ。

Google Slideがいつまであるかはわからないが、パワポであれキーノートであれ、そういうものの使い方なんて、日本の学校では教えてくれない。「資料つくってプレゼンする」なんていうのは多くの場合社会人になってから突然覚え始めるものだろう。ツールは変わるかもしれないが、中学からそういった技術を仕込まれた人たちは、大人になってもそれを基本的な教養として応用するだろう。

長男は心もとないように見えて、こんなすごげなものを毎週つくっている。しかも英語で(これは公立行っている限り当たり前だが)。いつもはボーッと生きている姿しか見えない長男に「これがアメリカの教育だ!」というのを見せつけられて戦慄した。これがアメリカの教育ってやつなのか。

「それに引き換え日本の教育は・・・」みたいな出羽守みたいなことを言う気もないが、「知識を仕込む」日本の教育にくらべて、アメリカの教育は「技術を仕込んでいる」感じがすごくあって、それは素晴らしいと思う。知識だと足し算になっちゃうが、技術は応用が効くので、掛け算になることがある。

プログラミング教育みたいのも、少なくとも日本で検討されているプログラミング教育って、なんか応用の効かない知識重視の傾向はありそうだし、知識ドリブンな人が増えちゃうのはとても嫌だな、と思う。結局出羽守っぽいことを言い始めてしまった。

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