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0125「こういうインターネットが必要」

今日は嫁が歯医者で、娘を見ていないといけなかったので、日中わりと家で作業していた。

プロトタイプを2つ同時進行していて、1つはswiftで、もう1つはC++というかopenFrameWorksで、なんとなく行ったり来たりしながら作業していたら途中で完全にハマった。不可解すぎるエラーが続いて15分くらいああだこうだやっていたが、swiftの方のコードで一生懸命ofToString()しようとしていただけだった。エラーを真面目に読んでいれば何も問題なかったし、この現象こそ、「頭がバグる」というやつだろう。

途中で今住んでいるアパートの不動産屋から電話があって、大家からの脳天気な要望を言ってきたので、昨年末からの深刻な問題についてこと細かく文句を言った。「うちらがこれだけ大変でお前ら何もしてくんなかったのに能天気な電話かけてくんなやワレ。」くらいのノリで怒った。これは確実にそうなのだが、人間っていうのは怒っていると英語が流暢になると思う。というか、英語力が向上した気すらする。今日もそうで、結構映画とかで早口で怒ってる人くらいのスピードでしゃべっていたような気がする。

実際、数年前ニューヨークの社員の1人が全然働いてくんなくて、注意したらゴニョゴニョ言ってきたので結構なケンカになったとき、あのときを境にやや英語が上達した感じもした。

しかしこの問題は全く収束しない。収束しないとここにも書けない。そろそろ落ち着くかと思ったが、出口が見えない。

明日もまたこの問題でいろいろある。後厄が終わるまであと1週間くらいだが、この問題が解決するまでが後厄だなと思う。家に帰るまでが遠足だ。

そんなこんなで出社して実機テストを行った後に友人がオフィスに来たのでいろいろ話していたが、そこで知ったのが「Lo-fi HIp Hop」だ。私はこのジャンルというか文化の存在を全く知らなかった。その会話の中ではあまり肯定的ではない文脈で語られたところもあったのだが、私はこの文化の存在を知ってちょっと興奮が抑えきれなくて、その興奮をわかってくれそうな千房さんにすぐにメッセージを送ったほどだ。調べてみると、一昨年くらいに登場して、去年から盛り上がり始めているらしい。この記事なんかが詳しい解説としては良さそう。

「Lo-fi HIp Hop」の舞台はYouTubeだ。基本的なフォーマットが決まっていて、表層的なジャズっぽい耳あたりの良いヒップホップビートのようなものが延々と流れる。それは、YouTube LIVEでライブストリーミングされている。

映像は、どういうわけか基本的に日本のアニメのゆるい1シーンを引っ張ってきて延々とループしているだけ。キャラクターが勉強していたりダラダラしているだけのループだ。で、その上でこの文化を文化たらしめているのがYouTube LIVEのチャット機能で、ウン千人の人が同時にここにアクセスして、このゆるいビートをBGMにしつつ、ゆるいアニメーションのループを流しつつ、チャットウィンドウでどうでも良い会話をしている。高校生っぽい人なんかも結構いる。タイトルなんかにも表れているように(「beats to relax/studio to」とか)、このセッティングは、リラックスしたり勉強したりしながら楽しむことを目的としている。

私の世代が中学生くらいの頃は勉強中にラジオを聴いていたりしたものだが(今もそういうのあるのかもしれないが)、ああいうラジオっていうものは、ちょこちょこリスナーのハガキなんかが届いたりしてゆるく生放送の中でインタラクションが発生していくことで、1人で机に向かいつつも孤独ではなく、「つながっている感じ」を得るためにちょうど良かった。録音された音楽や収録だと、その魔法は生まれにくく、それはオールナイトニッポンとかである必要があった。

で、この「Lo-fi HIp Hop」文化の「ハガキ」とかリスナーに電話かけたりとかにあたるのが、延々と続いているYouTubeのチャットだ。そこで「つながっている感じ」の魔法を担保しつつ、作業の邪魔にならない音楽と気持ちを落ち着かせて集中を促すようなアニメーションが流れている、それらはライブなので、世界中のリスナーが同じ瞬間に同じ絵を見ている。それがループであっても、同じ絵を見ながら作業をしているというのがとても重要なのだと思う。

早速、Lo-fi HIp Hopにつなげながら洗い物をしてみた。これはすごい。なんとも言えない深夜ラジオ感がある。

あるいは、午前4時位まで作業をしていたときに放送終了後のテレビに流れている「浜崎橋お天気カメラ」的な趣がある。

ライブであること、チャットが流れていくこと、その中心にこういうどうでも良いといえばどうでも良い音楽が流れていること。この絶妙なバランスが突然発見されて同時多発的に流行しているというのは、とても尊いことのように思える。ここには言語化できない、しかしみんなが共通して楽しめる風情というものが提供されていて、それにこれだけ多くの人がつながっていて文化になっている。

インターネットというかソーシャルメディアというかそういうものが、わかりやすさが収穫逓増するしょうもない機構になっていてうんざりし続ける日々の中で、これは久々に、インターネットも捨てたものではないなあと思った。こういう、わかりにくいわかりやすさというのが一番良いし、その良さに抗うことができない人々もまた素敵なのだと思う。

あの明け方に「浜崎橋お天気カメラ」を日本のどこかで一緒に観ていた人に悪い人がいるはずなどないと思うし、いまLo-fi HIp Hopにつないでいる世界の誰かに、悪い人はいないように思える。こういうインターネットが必要なんですよ、と思った。

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