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PARTY −> whatever

そんなわけで、昨日くらいから業界の巷でニュースになっていますが、2013年より活動してきました弊社PARTY NEW YORKが、5年の活動を終えてネクストステップを踏み出すことになりました
いや、基本的には屋号が変わるだけです。オフィスも変わりません。仕事も切らずに継続します。
「whatever」という名前になります。東京のdot by dot社と合体してwhateverになるよ、ということです。PARTY NYの台湾オフィスであるPARTY Taipeiもwhatever化します。

命名の趣旨とか、ビジョンのようなものは、生煮えなところもあるわけですが、CEOをやる元dot by dotの富永とCCOをやる元PNYの相方の川村がいろいろ書いているのでそちらをご参照ください。私はもう1つのチームであるBASSDRUMもありますので、whateverにはニューヨークベースの1CDとして参加しています(メインジョブであるテクニカルディレクションはBDでやるので、たまにギターを弾いたり歌を歌ったりする場合にwhateverとなります)。

PARTY

まず、避けて通れない話題なので、PARTYについて。

PARTYは、2011年に東京で創業後、2013年にニューヨークオフィスを本格稼働。その後2016年あたりから、東京とニューヨークほぼ完全な別会社として活動をしてきました。誰もそういう言い方をしないですし、はっきり言ったほうがわかりやすいと思うので、なるべく歯に衣着せず表現しようと思います。

で、よく「PARTYは東京とNYで別れたの?」という話を聞かれるわけですが、はい、それはその通りです。
PARTY東京の伊藤さんもひろきさんも、その他東京のスタッフとも別に仲がすごく悪くなったわけではないのですが、国の違い以上に方向性の違いも出てきてしまいましたし、いろいろ経た後、資本関係も解消しています。
これは、つくろっても仕方ないので書いておきますが、そういうことです。

PARTY東京とPARTY NEW YORKはここ数年、博多ラーメンでいうならば、「元祖長浜屋」と「元祖ラーメン長浜家」状態でしたし、札幌ラーメンでいうならば「純連(すみれ)」と「純連(じゅんれん)」みたいなUX的にまぎらわしい状態でした。これをきっかけにはっきりすることになります。まぎらわしくてすみませんでした。一方で、私のもう1つのチームであるBASSDRUMは、いろんなクリエイティブの人と組むことができる技術屋の集団なので、PARTY東京とも仕事ができると思います。引き続き、良い距離感で良い関係を続けられると良いなと思います。

しかし、PARTYは伊藤さんに誘われて参加したものの、生まれて初めて自分で設立した会社ではあるので、このブランドからの卒業というのは感慨深いものがあります。東京をベースにクリエイティブ集団的にブイブイ言わせた2年間と、全くの0から七転八倒しながら生き抜き育てたニューヨークでの5年間。30代後半という脂ぎった時期に過ごす環境としてはこの上ない環境だったかと思います。PARTYとしてお世話になった皆様には感謝のほかありません。

「テクノロジーとストーリーテリングの融合」というステートメントで始まったPARTYですが、商業クリエイティブの世界に一石を投じることができた手応えはあります。しかしそういう意味での歴史的使命は終わったということであろうと思います(東京も、既に違うステップに行っているのだと思いますし)。

whatever

で、whateverについて。

掲げている通り、チームとして、「考えてつくる」ということは、よりわかりやすく体現できるタイプの組織になると思います。ただ、既に課題はあると思っていて、それは結局そのビジョンをいかに国際的に、多くの世代に広げていくことができるかだと思っています。

5年間、チームとして成長していって、コアメンバーは、五十路の声を聞くおっさんばかりになります。そのときに、whateverが加齢臭漂う養老院になってしまうのか、活発に血が巡る、社会的に存在意義のある輝きを放っているのかは、whateverの人々次第です。
前者に落ち着くくらいなら、やらないほうが良い。

だからwhateverは、アップデートをしていきます。3年後何が起こっているかなんて全然わかりません。「考えてつくる」のは良い。しかしその先に何があるのかを世の中に提示するために「考えてつくる」ことが大切なのだと思います。今日は、それを見つけるための旅の始まりであると思います。まだ、whateverはそれを提示する存在ではありませんが、そこに辿り着きうる有力なチームとなるはずです。

PARTYの設立メンバーの中では、制作畑の人間は私だけでした。下請けに見られがちな「制作」を背負って、謎のものづくりヒエラルキーの「上流」に殴り込んだ自負はありましたが、毎日のようにいろんな壁に跳ね返されました。「制作は奴隷だ」と、この私に面と向かって言い放った人間もいました。

手前味噌に他なりませんが、そのときに撒き続けた種が、ようやくいろんなところで芽を出し始めているのかもしれなくて、その芽の中の1つがwhateverなのかもしれません。次の10年は、私のメインジョブであるテクニカルディレクター・コレクティブとなるBASSDRUMも一緒に、それを木に成長させ、森にしていきたいと思います。

つくる人間が楽しければ、良いものができる。それを文化にして、よい社会をつくる。

BASSDRUMにしろwhateverにしろ、そこは変わりません。

# 日本語での告知はnoteにて代えさせていただきます。英文の説明は別途、facebookにだーっと書きます。

以上、ご報告でした。上で書いているようなことができなかったら、笑ってバカにして良いです。

みんなにも読んでほしいですか?

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