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0904「秋」

東京の高速道路、ことに首都高というのは異界だ。歩いて行くことができないし、通常歩いていける場所からは中を覗くことができない。そして、高速の中にいると、そう簡単に外に出ることはできないので、異界に入ってしまったような感がある。

飛行機、というか空もそうかもしれない。何らかの動力というか、車とか飛行機みたいなものを利用しないと辿り着くことができない場所、という意味で首都高も空も、海底なんかももうかもしれない。拘置所や刑務所の中、とかもそうかもしれない。

高速道路沿いのビルの窓からだと、高速道路という異界を上から覗き込むことができる。何か、箱庭を覗き込んでいるような感覚にもなってくる。

島国である日本にとって、それの最たるものが海外ということになるだろう。日本にいると、ニューヨークでの生活が、なんだかリアリティを伴わない。ニューヨークにいると、日本で生まれ育ったことが夢だったのではないかと思える。私たちは、異界と異界を行ったり来たりしていて、どちらが異界なのかわからない。

高速道路と同じように、ニューヨークから接続して眺める東京は箱庭みたいな世界でもある。約6年、何度もやってくることはあったが、東京を離れて暮らして働いて、初めて2カ月という長い間東京で東京の中にしっから入って暮らしたような感じがする。それは6年前とは全然違う体験だったし、年齢とキャリアもあって、昔よりもっと社会の中枢に触れるような、質の違いみたいのを体感した気がする。

日本を出て、6年間外で暮らしている日本に戻って来たら、いつの間にか自分は大人になって、大人の世界に引き込まれていて、仕事をする上での戦い方なんかも違ってしまった。

ああ、これは、「社会人としての青春」が終わったのではないか、と思った。

私は今の業界で仕事を始めて13年で、かなりスタートが遅い。ルサンチマンとか屈辱とか怨念とかを燃料にしていろんなものを形にして、噛み付いたり振り回したりしてきたが、そういう初期衝動で仕事をするのではなくて、今そこにあるのは単なる、自分の能力を役立てる楽しさでしかなくなってきた感じがする。海外で必死にやっていたので、そういう青春が延長されていたのかもしれない。

青春が終わってしまった。これはなかなか、寂しくて悲しい。こういう感情があるときに、人間というのは変わるのかもしれない、と思う。言葉を変えれば「死」に一歩近づいてしまった感じすらある。

そしてここから先は、未だ青春を謳歌する人たちの圧倒的な力と、別の形で勝負しなくてはいけない。

少し涼しくなって秋くさくなっていた東京から、自宅のあるニューヨークに戻る機上でこれを書いている。ニューヨークは恐らくもっと秋だろう。

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