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0303「現世の不幸を減らすシステム」

アメリカで仕事をしながら、夜は日本の会社の仕事をしているので、毎週日曜日の夜には日本が稼働しだして、どんどんタスクが増えていく。打ち合わせはなるべく入れないようにしないと、日曜日一日それなりの緊張感をもって過ごす必要が出てきてしまうので、心身を壊すのでまずい。ので、入れないようにしている。が、作業はどんどん発生する。ミーティングがあるよりかは緊張感が少ないが、日本のTV番組専用チャンネルであるテレビジャパンで「いだてん」が始まる(大河ドラマは律儀にNY時間8:00PMに始まる)頃には、そこそこ緊張感が高まり始める。

今日などはそのくらいの時間からドバーーッとTODOリストが伸び始めてしまって、「これは月曜に持ち越すと死ぬやつだ」ということで、できることをなるべくやっておいたが、もう全然終わらない。おまけに、年末から続いている例の問題の最終段階メールまで届いて、緊張感がどんどん上がっていって健康に悪い。で、この日記を書き出したのは2:30AMだ。

前も書いたが、アメリカのケーブルテレビには「テレビジャパン」というものがあって、基本的にはNHKの番組を中心に放送されている。たまーに民放の番組やアニメなども入ってくる。なので、朝ドラ・大河ドラマ・おはよう日本というNHKの基本は問題なくほぼリアルタイムに体験することになる。いやむしろ、テレビジャパンを見ないのだったら英語の放送を見るしか無いので、他にあんまり選択肢がないぶん、いかに朝ドラや大河ドラマが辛い展開であろうが、基本的に見ることになってしまう。なので、これらのNHKのドラマが良いか悪いかということは、多分にQOLに影響することになる。

これも前に書いたが、朝ドラについては現在の「まんぷく」はとても良いドラマだと思う。萬平さんは捕まり過ぎだが、全体的にキャラクターが生きている。というか、勝手に動いている感がある。「塩軍団」のひとりひとりにちゃんとバックグラウンドストーリーを用意している、という話を聞いて、やっぱりなー、素晴らしいなと思った。

私は子供の頃から小説を書きたくって、そのために小説ハウツー本みたいなものは何冊も読んでいるが、どの本にも「キャラクターをちゃんと丁寧につくって、勝手に動かせばいい」と書いてある。しっかりしたキャラクター像をつくることができれば、キャラクターが勝手にストーリーをつくってくれるのだ。「この人だったらこう言うだろう」「この人はこうは言わない」「この人はこういうときこうするだろう」が積み重なって、物語が勝手に出来上がっていく。いろんなその手の本はあるが、下記の「ラノベの書き方」はとても良い本で、短い構成の中でかなり実弾的なキャラクターの作り方やその他のメソッドがまとまっている。

そういう意味では1月に始まった「いだてん」も、いろいろありつつもすごく良い大河ドラマだと思うのだが、日本のニュースなどを読んでいると、低視聴率だとか、馴染みのないテーマだからどうのこうのとか、不評というか粗探しが始まっている。特に大河ドラマの場合、すごく視聴率を気にする人が多いような気がする。が、実は大河ドラマほど視聴率とクオリティが関係ない枠も無いように思う。

個人的に、良い大河ドラマの条件というのは3つあると思っていて、基本的に史実が存在する歴史ドラマであることを踏まえると、「キャラクターが生きている(その上で史実の行動と帳尻が合っている)」「新しい歴史解釈(史実を制約にした新説)」「感情をきちんと描いている」ことだと考えている。

まず、「キャラクターが生きている(その上で史実の行動と帳尻が合っている)」というのはそもそも相当難しくて、史実というルールがある世界では、明智光秀は主君を裏切りたくなるような人じゃないといけないし、坂本龍馬は脱藩するような人じゃないといけない。キャラの行動が先にかなり決まっているので、そこに帳尻を合わせた上で魅力的で生きたキャラクターをつくらなくてはいけない。このへんが大クラッシュしていたのが昨年の「西郷どん」だったような気がする。最後の方はほとんど観るのを諦めたが、たとえば瑛太さん演じる大久保さんがどういう人物なのか、全然見えてこなかった。

2つ目の「新しい歴史解釈(史実を制約にした新説)」はさらに難しくて、史実というルールがある中で、「実はあれはこういうことだったんじゃないか」という物語としても魅力的な新説を提案するということだ。たとえば「義経は生きていてチンギスハーンになったんですよ」なのかもしれないし「上杉謙信は女だったんですよ」なのかもしれない。これが史実と乖離しすぎると、歴史ドラマとしては結構興冷めする。

3つ目の「感情をきちんと描いている」はとても重要で、「キャラクターが生きている」にも通じるが、史実に基づいて話が進んでいくとき、たとえば秀吉が本能寺の変の後に主君の死を聞いて慟哭したりするようなシーンは散々描かれてきているが、これは、どういうキャラクターの秀吉がどういう気持の動きを得てそういう行動に出たのかが視聴者に伝わる状態をつくらないと泣けるシーンにはならない。歴史上の人物は、ちょこちょこ感情そっちのけで史実通りに行動させられがちなので、歴史ドラマの中で丁寧な「感情移入」をつくるのは相当難しいのだ。

ちょっと前のものだが、大河ドラマとして歴代最低視聴率を記録した2012年の「平清盛」は、間違いなく良い大河ドラマだった。魅力的なキャラクターがどんどん出てきて(天皇家の人たちをあそこまでクセがある描き方をしたのはすごいことだと思う)、エキサイティングな新しい解釈があって、平清盛という歴史上の悪役にがっつり感情移入できるようにできている。

そして30年間くらいずっと大河ドラマを観ている私のスコープで、最高の名作だと思っているのが、一昨年の「おんな城主直虎」だ。これも視聴率的にはグダグダだったが、直虎放送中の2017年という年は、ある種QOLが非常に高い年だった。史実をベースにしつつも、基本的な流れは強力大名に挟まれた弱小領主がどう時代を生き抜くか、ということなので、登場人物が地味過ぎるという問題があった。小野政次とか、誰も知らないし、信長の野望だったらパラメータが全部低いどころか、いない武将だったりするが、扱いは準主人公だ。多くの登場人物は、史実で何をした人なのかもよく知られていない。

が、史実が少ないことを逆手に取って、自由に魅力的なキャラクター像をどんどん立ち上げて勝手に動かして、うまいところで大きな史実につなげていく(本能寺の変の真相、とか)。通常の大河ドラマでは描かれない弱小領主の「戦わないでどうにかする」という生き方を丁寧に描く。派手な戦闘シーンは全く無い。がゆえにすごく新しかった。

普段悪妻として描かれる瀬名姫を自己犠牲の人として描いたり、信長の野望だと最弱武将である今川氏真がめっちゃかっこよく活躍したり、そして歴史に登場しない人物、農民とかも含めて、わりと全員に感情移入できてしまうという、今までにない「感情の物語」を大河ドラマという難しい場所で実現していた。後にも先にもあれほどよくできていて「イノベーティブ」な大河ドラマは出てこないのではないかくらいに思うが、視聴率はグダグダだった。

だいたいなんでマスコミの人たちは「視聴率」だけを話題にして内容の良し悪しを顧みないのか、と思う。「おんな城主直虎」の「低視聴率の原因」なんていうのは、「地味」とか「誰も知らない」とか枚挙に暇がないとは思うが、そういうのをわざわざ記事にするんだったら、ちゃんと番組を見ないと嘘だと思う。番組を見て、その上で低視聴率を考察するのはすれば良いと思うが、たぶんああいう記事を書いている人たちは、まともに内容を見ていないと思う。「ちゃんと見てたら書けない記事」が多すぎる。

ちゃんと見ていないのならなんでわざわざ中の人のモチベーションを落とすような書き方をするのか、というのは、ソーシャルメディアの炎上にも近いところがあると思っていて、炎上の対象って、多くの場合において真意を聞いてもらえずにそうなっていることが多く、燃やす側の人というのは、ある程度以上の相手への理解を放棄している。そのへんが似ている。

番組を観た、とか本をちゃんと読んで理解した、みたいなことを証明書として個人に発行するシステムというのはいかにして実現できるのだろうか。「ちゃんと読まないとコメントできないシステム」とか本当に実現できたら、現世の不幸は結構減ると思うんだが。

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