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0623「1億総デジタルデトックス大臣」

昨日書いた日記というか解説記事がわりと話題にしてもらっていて、それはまあ、書いてよかったなと思うのだが、こう話題になると、次の日の日記、つまり今書いているこの文章を書くのが億劫になるから困る。別に普段特に話題化するようなものを書いていないところ、フォロワーの方も増えるし、ああいう多少なり参考になりそうな解説記事みたいなものを期待してもらってしまうのかもしれないが、そんなものを書いたのは昨日が初めてだし、ここはそんなにビジネスっぽいことを書くつもりでやってなかったりするので、何が言いたいのかというと、期待に応えることなどできないので申し訳ないのだ。

なんならそういうようなものに対する解説記事でもまた書けば需要に応えられるのではなかろうかとか思って、「アクセンチュアとHertzがアメリカで揉めている問題とテクニカルディレクション」みたいな話とかなら書けるな、とか思ったが、いざそれを書こうかなと思っている自分を振り返ると、「お前はそんなNewsPicksが腐ったような奴だったのか」みたいなことを自省し始めてしまう。

これを仕事にしている人はまじで大変だ。私なんかは手すさびでこの日記をやっているのだから、別に昨日話題になったからといって、今日話題になるような記事を書く必要などない。しかし、ブロガーとかインフルエンサーみたいな人たちは、昨日話題になったら、今日も話題になることを期待される。実際にその数字の積み重ねが仕事につながっていくわけだし、読者の期待になっていくわけだし、記事に確認したりしてマネタイズすることにもつながっていく。しかしそれは相当にMPを削られる仕事だ。

私などは、別に責任などなく、大して期待されていなくても「面倒くさいなあ・・・」とか思ってしまっているのに、それを仕事にしている人たちは、うまく行って話題になった記事をリバース・エンジニアリングして、「勝ちパターン」を見出したりしなきゃいけない。で、話題になったら話題になったで、話題になればなるほど、批判やクソリプに晒される日常になっていき、さらには顔出しでパッと見、「好きなように仕事している」っぽい職業だから、相応のやっかみも受ける。そこで仕事をやっている限り、その対応において大きなヘタを打つこともできないわけで、これは相当胃がやられるだろうという想像に難くない。

まああと、YouTuberなんかもそうなのかもしれない。YouTuberの場合はちょっとコミュニケーションの距離も違うので、顔が見える、人柄が見えるというところで、コントロールしやすいとは思う。

しかし何しろそういうものを仕事にしている人たちには休みというものがない。何しろ、360度でいろんなコミュニケーションをするより、365日コミュニケーションをし続けないといけない時代だ(©レイさん)。ずっと何をどう発信するか、しないかを考え続けないといけない。

私の友人にもそういう仕事をしている人がいるが、参ってしまっているのに、全く息継ぎができないような空気を感じて、休ませてあげたいと思うのに、どう休ませてあげればよいのかよくわからないという状態になってしまう。

結局それで何を考えるかというと、1週間でも1日でも良いので、日本人なのか世界中なのかなんでも良いが、一切個人で発信しない、Twitterもインスタもブログ的なものも何も発信しない、という期間を決めて絶対に誰も何もしてはいけない休日みたいのをつくれると良いのではないかと思う。1億総デジタルデトックスだ。1億総デジタルデトックス大臣だ。ソーシャルメディアを見てしまうのは、誰かが何か発信しているからなので、この日は誰も発信しないと決めてしまえば見ても意味がない。

そんなようなことをやると、日本社会なのか世界なのかが、全体的により寛容でゆるふわになって、自由そのものだったインターネットを取り戻すことができるのではないだろうか。

みんなにも読んでほしいですか?

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