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1010「御乱心」

NYの平日なのに、珍しく外で人と会うことが多くて、移動して作業して打ち合わせして、みたいな感じでずっと動いていたが、電話を新しくしてからどうもテザリングの速度が遅く、作業がしづらくて困ってしまう。

昨日、何かの拍子でamazonを見ていて、三遊亭円丈の「師匠、御乱心!」(原題:「御乱心」)が文庫化されてKindleで読めるようになっていることに気づいた。三遊亭圓生率いる三遊亭一門が落語協会を離脱した事件(昭和53年)の顛末を、その渦中にいた真打なりたての円丈師匠が振り返るドキュメンタリーで、この事件を語る時に外せない一冊と言われていたが、電子書籍になっていなかったので読めていなかった。原本の発表当時はかなりの問題作だったはずだ。つまりすごく読みたい本だったので早速購入してみた。

このタイミングで落語協会は分裂し、「笑点」で有名な先代円楽率いる三遊教会は寄席に出れなくなり、その後立川談志が同じように立川流を立ち上げて、落語界はある種の混乱期に入る。ここから先の20年、「笑点」はずっと、落語界とお茶の間の架け橋として機能したものの、落語そのものは静かに「おじいちゃんが聴く何か」になっていったらしい。「らしい」というのは、よく知らないし、本で読んだくらいだからだ。「笑点」は見てたけど、寄席に行ったのは中学の頃学校の社会見学みたいので末広亭に行ったくらいだった。そのときのトリが春風亭柳昇の新作だったのは強烈に覚えていて、めちゃくちゃ面白かった記憶がある。いまの笑点の司会の昇太さんの師匠だ。つまり、そのときは落語協会ではなく落語芸術協会の興行だったということになる。

先日日記で書いたヘビーメタル専門誌「BURRN!」の編集長の広瀬さんが書いている「21世紀落語史」というコラムがあって、すごく面白いのだが、これの序盤とかを読んでも、20世紀末の落語界というのは、古今亭志ん朝を中心としたある種王道の落語の影響力が強くて、多様性があまりない状態だったように見える。このコラムによると、志ん朝の死後、21世紀になってから立川談志が覚醒して本格化した、みたいなことを書いていて「なるほど、そうなのか」なんて思ったのだが、実は21世紀に入ると私は落語を聴くようになっており、あろうことか2003くらいに談志の独演会で「芝浜」を聴いている。そういうのは無理して行っておくものだ。今じゃ、談志の芝浜を生で聴きましたっていうだけで歴史の生き証人だ。

それにしても、この円丈師匠による落語協会分裂ドキュメンタリーは、組織というものの儚さを残酷に描いている。私もある種、組織というものの力学の中で悩んで揉まれてきたところもあるから、「あー、あるよねそういうの」みたいのばっかりで、いろんな共感を覚えてしまう。単純なドキュメンタリーではなくて、円丈師匠がそのとき何を思ってどう感じたか、という生々しい主観があるから、余計に沁みる。師弟関係というのは実際の親子ではないし、そこに親子のような愛情を期待すると悲劇が起こるよね、みたいのもすごくよくわかる。組織や、働いている業界に先代円楽みたいな人がいて、軋轢が起こるのもよくわかる。そのへんは、すごくよく知っている。

しかし実は、この一連の分裂劇が21世紀になって多様で豊穣な落語界を生み出すことにもなっているところが恐らくあって、やはり、衝突とか対立って、結局何か新しいものを生むところはあるよなあとも思う。

三遊亭圓生は先週の「いだてん」で重要な登場人物として初登場した。「師匠、御乱心!」を読んで、「この人はああやって晩節を汚すのだな」などと想像しながら見るのも良いかも知れない。

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