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0516「陰毛差別は不毛」

今日もロサンゼルスで長い仕事をやったが、新しいことをやるときに、知識と経験がないと本当に悔しい思いをする。私は直接的にでも間接的にでもつくり手なので、人に丸投げして何かをつくってもらっている状況ほど情けない状況というのはない。とても情けなくて辛い思いをしたので、ここにその辛い思いを刻んでおこうかと思う。

辛い。必ずこの辛さを成仏させよう。

先々週と同じく、9時の便でニューヨークに帰る。早朝に着くので家に帰って子供を学校に送って、そして午後から現場だ。大変だが、そこが自分が何か作用できる現場である限りまだやりようがある。悔しくても自分でどうにかすればいい。まだ楽、というものだ。

今週末は珍しく、わりと重めに仕事というか現場に入らなければいけないので、なかなか気が重い。仕事するのが嫌というよりは、週末に仕事を入れて、自分が壊れてしまうのが憂鬱だ。休まないとガタが来る。いろいろつらくなる。

とりあえず日記を書かないといけない。とにかく何か書かないといけないので、頭の中をスキャンする。何か言いたいことはないか。何か書けることはないか。頭の中の本棚を見てみる。

もう本当に最悪なのだが、そうしているうちに、陰毛について考え始めてしまって止まらなくなってしまった。

下ネタは好きではないというか、好きだけどこういうところに書きたくはないのだが、まあ仕方がない。半年も毎日書いていれば下ネタくらいしか書くことがなくなる。しかし私は今回、下ネタではなく真面目に陰毛の問題について書きたいと思う。

陰毛というのはとても困ったもので、生えている人間と生えていない人間しかいない。子供のコミュニティではみんな大抵生えていない。大人のコミュニティではみんな大抵生えている。だから多くの場合、そこにマジョリティもマイノリティもない。

問題になるのは、陰毛というのはみんなが同時にガッと生えるわけではないということだ。早く生える者、遅く生える者、薄い者、濃い者、いろいろな生え方がある。だから、生えている者と生えていない者が混在するような、トランジションの時期というのがある。

私たち男性の場合、小6と中1くらいの時期だ。この時期に、陰毛のトランジションが起こる。そして、悲劇が起こる。

小6とか、中1というのは、まだ人間として未成熟であり、特に日本のような多様性を是としない傾向がある場所だと、マイノリティを素直にマイノリティとしていじる、つまり、わかりやすいいじめというものが発生しうる世代だ。私も小学校高学年、中学校低学年ではいじめを受けた。

で、この場合、小6と中1というのは違う。180度違う。共通するのは、「修学旅行みたいのがあって、みんなで風呂に入ったりする」ということだ。

小6の場合、陰毛が生えている人はまだ少ない。しかし、何人かには生え始めているし、一人くらいはかなり濃く生えている人もいる。そうすると、その子は、その修学旅行をきっかけにして「ちん毛」と呼ばれ始めたり「もじゃもじゃくん」とか呼ばれたりする。私は、濃くはなかったが、どちらかといえばこっちだった。修学旅行の前など、とても悩んだものだ。

ところが中1の修学旅行では、それが逆転する。もうだいたいの人が生えているのだ。逆に生えていない子が「ツルツルくん」とか「チェリー」とか呼ばれていじられる。

こう書くと笑い話として書いているように見えるかもしれないが、私は大真面目に、そういうのは良くないと思う。私は、今まで結構「そういうつらい経験が自分を形成しているんだ」とか思っていたが、そんなことはなくてこういう種のどうでもいいマイノリティ叩きは生きる上で不要だと思う。どうせみんな生えるわけだし、ここには本当に意味がない。生えてないものは生えてないのだから、そこに同調圧力をかけても意味がないだろう。

そういうのにさらされ続けてきたから、今の私のようなジメジメした人間が出来上がるわけで、そんなことを気にしないで明るく生きていけるならそれが一番良いのだ。陰毛差別は不毛だ。

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