0412「植物支配からの脱却」

昨日は台北から東京への移動日。お昼からミーティングがあったので、朝5時に起きる必要があった。1時半くらいまで起きていたのと、そもそもここ数日例によって微妙な睡眠環境で眠ることが続いていたので、あ、これは普通にベッドで寝ると寝過ごすな、と思って、冷たい大理石の床で寝ることにした。この、「翌朝絶対に寝坊できないときは変な姿勢で寝る」とか「不快な環境で寝る」とかは、人生トータルでいうときっとダメージを蓄積してしまうやつだと思うが、自分の内部では「不快だからなるべく早く寝て、起きたい」と思いながら寝るので確かにちゃんと起きることができる。これは大事なことなので後日まとめて書くが、最近筋トレをちゃんとやっているので、それでもわりとスッキリ生活できたりする。

夜に行われていた会食が、かなり前から予定を入れていた興味深いやつだったのだが、とても勉強になる話を聞くことができた。こういうやつって、人の集め方によっては確実に会食費の10〜100倍の価値を生む。これに付随して、また良いコミュニケーションチャネルを思いついたので、書こうと思ったけど、これは結構いいアイデアなので、実践してから書くことにする。

出張生活も終盤だ。この週末は日本で過ごして、週明けまたLAに寄ってニューヨークに戻ることになる。この、基本的に海外で暮らしていて時折アジアにやってきていろんなも用事を詰め込んで一気にこなしに来る、というやり方は、出張中かなり自分の反応が遅くなるので周囲にご迷惑をおかけしてしまう部分もあるが、そうは言ってもとても良い効果がある。

何なのかというと、時間と体験の濃度をぐいっと上げるので、「思い出化」しやすいのだ。細かい体験が、結構な短い時間の中にぎっちり詰め込まれるので、そのへんの日々の体験が記憶に残っていく。あのときのあの旅で、ああいうミーティングをしてああいうことをしゃべったな、みたいのがわりと普段以上に刻まれる感じというのがある。仕事なりをやっていく上でのインプットというのは濃ければ濃いほうが良いので、これは良い。

これをなんかもうもっと突き詰めると、現実的に私の場合は難しいが、月のうちで働くのを10日間だけにしてしまって、残りの20日間は働かない、というか、10日間で集中して仕事をするというスタイルは実は結構効果的な気がする。

どうせ人間というのは仕事していると言ったって、集中してフルドリブンで仕事をできている時間なんていうのは限られている。20日間仕事しないで空気を抜いて、10日間だけ、必死になって何なら朝から晩までガーッと働く。この間は分刻みで一生懸命やる。

実はこういうスタイルのほうが人間は効果的に動くことができるのではないか。

現実問題として、自分が月のうち10日間だけ働くよ! と言っても周りの人は残りの20日間も動いているわけで、一人で働いているわけではないから反応したり判断したり納品したりしないといけない。そんなものを待ってくれない現場もある。

仮にこの、「働くのを10日間にして20日間休む」というのを「集中労働型」と呼び、月火水木金と働いて土日休むやつを「恒常労働型」と呼んでみる。

そもそもの疑問として、なんで人間は「恒常労働型」が基本になっているのか、ということを考えるとそれはつまりたぶん、食わないといけないから、特に農耕をしなくてはいけないからだ。想像でしかないけど、狩りの時代は、保存の問題とかはあるだろうが、常に食料をゲットできるかどうかが保証されていないので、毎日獲物を探して動く=労働する。で、農耕が始まると、植物は毎日面倒をみないといけないので、「恒常労働型」にならざるを得ない。そのうち農耕とは関係ないサービス業が出てきても、商売相手が農耕をしているのなら、商売の効率を上げるために「恒常労働型」な人に併せて自分たちも「恒常労働型」になる。

雑ではあるが、つまりこの「恒常労働型」というのは、旧来の農耕文化を引きずっているだけで、植物の都合で仕方ないからそうしているだけで、実は今の時代、特に私たちのようなネット上のデータを0から1、1から0に動かしてお金を頂いているようなタイプのサービス業の人たちには「集中労働型」の方が効率が良く、健康に良いのではないか。というか、そんなに長い時間集中をできない人間という動物にとって、集中力を換金していくタイプの頭脳労働なんかにおいては特に、「恒常労働型」を押し付けられることが人類本来のポテンシャルを下げていることにはならないか。畢竟、私たちは植物に支配されているのではないか。

今こそ植物支配から脱却できる時代なのではないか。

ではどうすれば良いかというと、これはきっと、あまりにみんな「恒常労働型」に慣れているので変えるのが大変だが、農耕産業などを例外として、サービス産業全体は何らかの形で一気に「集中労働型」にシフトしてしまうと良いのではないか。

日本で考えるならば、「農耕等の恒常労働が必要とされる産業以外は、毎月1日から10日までを労働日として、その他の日は働かなくていい」ということにすると、国民全体の生産効率が上がって、働いていないときの経済活動も盛んになり、時間ができるので少子化も解消されたりしないだろうか。いや、海外の人にとって日本人が「1日から10日までしか働かない一緒に働きづらい民族」になってしまうからたぶんダメか。

何が言いたいのかというと、いろいろ言い訳をつけて20日くらい休みたいのだがどうすればよいのだろうか。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!