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【GO GO 曽野綾子先生! 第9地区まで疾走せよ!】パート1

 もうさんざん話題になってはいるが、産経新聞における曽野綾子先生のコラム「透明な歳月の光」が凄い。連載タイトルからして類まれな日本語センスが神々しいし(ダニー・ハサウェイ級)、アパルトヘイト肯定・人種差別礼賛と解釈されてもしかたないような主張を堂々と展開する肝っ玉も光っている。

 とはいえ、ここでのワシは、曽野綾子先生の主張についての説明を試みるつもりはない。先生は「つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい」と書いているが、ワシに言わせれば、先生の倫理観を理解するほうがよっぽど困難なのだから。
 ワシが気になったのは、この一点。「先生、南アフリカの歴史は知っとるんかいな?」ということだ。

 「アパルトヘイト」とは、かつて南アフリカの悪名を世界に轟かせた人種差別制度である。
 ワシが若い頃、「南アフリカといえば世界最悪の人種差別国家」というのが常識だった。だが、考えてみれば、そのアパルトヘイトが廃止されてから20年が経つ。記憶が薄れ、語られる機会が減るのも無理はないだろう。南アフリカを舞台にした風刺SFアクション『第9地区』やラグビーものの『インビクタス / 負けざる者たち』といった映画に触れない限り、その制度を知るチャンスすらないのかも知れない。
 それらの映画の話題を除けば、南アフリカという国への認識が多少なりとも高まったのは、2010年にサッカーのワールドカップが同国で開かれた時だろうか。飛行機嫌いで知られるR・ケリーが——相当な大金を積まれたのであろう——睡眠薬をガブガブ飲んでヨハネスブルグに飛び、開会式でテーマソングを歌ったことでも記憶されている。本人はサッカーなぞ知らないだろうにね。
 「認識が高まった」とはいえ、2010年当時、最も話題になったのは、「犯罪都市ヨハネスブルグ」というトピックだった。だが、同都市の犯罪率の高さは、ゆえなきものではない。その背景にあるのは、長いアパルトヘイト時代。だから、もう一度語ってみるべき、と思うわけだ。曽野綾子先生に南アフリカ史を理解してもらうためにも。

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