髄の年輪のモノローグ 第8回 Hi-STANDARD『MAKING THE ROAD』

 「パイオニア」という言葉がある。英語で書くと「pioneer」。意味は「開拓者」とか「先駆者」とか。つまり、誰も踏み入れたことない場所に道を作っていく人のこと。
 Hi-STANDARDというバンドは、まさに文字通りの「パイオニア」だった。パンクロック界隈だけではなく、日本の音楽界全体に於いても大変重要な存在。自覚の有無や度合いの差こそあれど、彼らに影響を受けていたり、彼らの轍を歩いているミュージシャンは数知れない。
 とはいえ、彼らが全力疾走をやめてから19年が経つ。復活して以降はマイペースにライブをしたり音源を発表したりしていて、大変喜ばしいことではあるけれど、しかしフルスロットルだった頃から19年経っているということは、つまり今の20代中頃以下くらいの年代のミュージシャン(もしくはその卵)は彼らのことをよく知らない可能性が高い。それは、とても勿体無いことだ。
 ということで、中学〜高校生の頃にハイスタを、そしてAIR JAMムーブメントを浴びた私が、彼らの功績や凄さをザックリと書いてみようと思う。あくまでも田舎の中高生だった当時の私から見たことしか書けないし、もっと詳しい人はたくさんいる。ので、あくまでも、ザックリと。

 ハイ・スタンダード。通称ハイスタ。1991年結成。PIZZA OF DEATH RECORDSの創始者。編成としては一般的な3ピースバンドのそれだけれども、メインボーカルがベーシストというのは少々レアかもしれない。初ライブは高円寺20000V(東高円寺二万電圧ではない……けれどそのあたりのことは長い話になるのでまたの機会に)。音楽性としてはパンクロックに分類されると思われる。歌詞は英語。
 パンクロックにも色々あるけれど、彼らの場合は「陽のパンクロック」とでも言うべき絶対的な明るさがあった。しかし、エネルギー源は怒りや悲しみだったりもする。雲ひとつない青空で、負の感情を燃やし明るく輝く太陽。彼らはそんな存在だった。

 ハイスタを含め、当時のインディーズバンド界(特にロック・パンク・ハードコア界隈)にはDIY精神がしっかりと根付いており、とにかく活動の全てを自分たちの手で行っていた。具体的には、作詞作曲はもちろん、ライブのブッキングやCDの製作・販売までを自ら行い、自分たちの手が届く範囲でプロモーションし、場合によってはレーベルや会社も立ち上げ、ライブ後には自ら物販席に立ち音源やグッズを売り、ライブハウスまで来てくれるファンを大切にする。……そう、2020年を目前にした今のライブハウス界隈と同じなのだ。現在進行形でよくある話どころか、ライブハウスに行く度に目にする光景だけれども、しかし、ハイスタや彼らと同世代のバンドがそうするまでは、全く違う状態だったらしい。つまり、現在のライブハウス文化を醸成し定着させたのは、彼らだ。
 しかし、DIY的に活動すると、どうしても規模的に限界がくることもある。そこでハイスタは、2ndアルバム発売に際し「CDの製作までは自分たち(PIZZA OF DEATH)で行い、流通はメジャーレーベル(トイズファクトリー)のそれに乗せる」という策をとった。DIY精神を尊重する一部のファンには驚かれたらしいけれど、あくまでもメジャーレーベルを使うのは流通だけであって、中身は変わらず彼ら自らの手で作られており、もちろん作品としてのクオリティも高かったため、さして問題にはならなかった。そして、ハイスタの周りのバンドも、その方法を使うようになった。自分たちの信念は絶対に曲げず、新たな策を練って実行すること。それもまた、DIY精神の賜物だ。
 なお、ハイスタのCDは海外でも販売されており、3rdアルバムは全世界で100万枚以上のセールスを記録することとなった。タイトルは『MAKING THE ROAD』。まるで、ハイスタそのもののよう。リリースは、日本ではPIZZA OF DEATHから(流通も自前)、海外ではNOFXのFat Mikeがやっているインディーズレーベルから。DIY精神を貫いたままでも、世界の100万人に届けることはできる。彼らはそれを行動で証明した。

 ここまで書いてきたことだけでも充分すぎるほどの功績だけれども、もうひとつ、ハイスタとは切っても切り離せないものがある。AIR JAMだ。
 ハイスタが企画・主催する音楽イベント、AIR JAM。バンド主催のイベントは数あれど、ライブハウスを借りて数組で行う一般的なそれとは規模が違う。最初の年(1997年)はお台場レインボーステージで、その次(1998年)は豊洲埠頭の野外ステージで、そしてその次の2000年は千葉マリンスタジアムで行われた。収容人数は普通に使って3万人以上。グラウンド部分にステージと広大なスタンディングゾーンがあったので、実際にはもっと入っていたと思われる。ハイスタがメインアクトで、BRAHMANやSCAFULL KINGなど、彼らの仲間のバンド、もしくは彼らがリスペクトしているバンドが多数出演していた。会場がスタジアム規模になろうとも、彼らがライブハウスで培ってきたDIY精神はそのままだった。会場のサイズも大きければ、世間、いや、世界への影響も大きく、1997〜2000年のAIR JAMに影響を受けた世代の音楽ファンを指す「AIR JAM世代」というワードも生まれた。私もまさにそれだ。
 なお、2000年のAIR JAMを以てハイスタは活動を休止した。けれど、2011年に活動を再開し、同時にAIR JAMも復活。以降は2012年・2016年・2018年にも開催されている。

 自分でできることは自分でやる。信念をもって行動する。仲間を大切にする。ファンを大切にする。ハイスタや彼らの仲間たちの勇姿を見て育ってきた私にも、そのDIY精神はしっかりと根付いているし、常々実行している。むしろ、それしかできない。こうして、その魂は新たな世代に引き継がれていくのだろう。
 ……と、過去のバンドのような書き方をしてしまったけれど、復活して以降のハイスタはまだまだ全力で現役なので、彼らを知るのも、背中を追いはじめるのも、今からでも遅くない。AIR JAM世代でない人にこそ、観て聴いて触れてほしい。

(余談:私には「ラフな普段着姿ですごいことをする人に惹かれる」という嗜好があるけれど、それが確立した要因のうちのひとつは当時のハイスタだと思っている。Tシャツ&短パン姿で世界を席巻する様に感銘を受けたのは間違いない。)


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掲載日:2019年12月8日
発売日:1999年6月30日
(20年5ヶ月8日前)
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髄の年輪のモノローグ 目次:
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