駅前広場の冷戦

 「おはようございまーす、美容室でーす」

 どうしても美容師になりたくて、上京して専門学校に入って資格を取って、今のサロンに入ってから随分経った。
 けれど、早朝から深夜まで、休日も潰して練習してるのに一向に上達しない。社内試験にも受からず、同期に遅れをとるどころか、ついに後輩にも追い抜かれてしまった。そして、彼氏に愛想を尽かされ振られたばかりの私は、今、昨日まで後輩がやっていた仕事をしている。
 厄年でも、スランプでもない。誰かのせいでも、環境のせいでもない。このご時世でクビにならなかっただけマシで、今は与えられたこの仕事をするしかない。そう諦めて気合いを入れ直し、私はチラシを配るのだ。

 「美容室でーす、よろしくお願いしまーす」

 さっさと終わらせて戻ろう、と覚悟を決めてから数時間が経ったけれど、手元の紙束はほとんど減っていない。これが現実。
 早足のキャリアウーマンには見向きもされず、徘徊する老人には絡まれた挙句イチャモンをつけられる。一人一人に詳しく案内したら良いんじゃないかと思い、ギャルっぽい二人組に声をかけ、チラシ持参で割引になると話してみたけれど、割引ではなく無料のカットモデルにしろと駄々をこねられる。
 チラシは減らない。これが現実。

 「こんにちはー、美容室でーす」

 陽が傾きはじめた頃、十メートルほど離れたところに女の子が一人やってきた。
 高く二つに結んだ髪にフリルと猫耳のカチューシャをつけ、本来の意味からはかけ離れた、しかしその名前だけが残った白黒の服を着ている。

 「新しくできたメイド喫茶でぇす!」

 ライバルが現れた。ライバルなんて同期と後輩だけで充分だったのに、また増えてしまった。
 甲高い声とニコニコ笑顔を発しながら、老若男女無差別に声をかけ、何かをどんどん渡していく。広告入りのポケットティッシュだ。多めに欲しいとせがむ人にも、愛想良く大盤振る舞いしている。

 「美容室でーす……」

 私のチラシは減らない。似非メイドのティッシュを貰っていた人も、私の前は素通りしていく。ティッシュには勝てないのだろうか。このチラシにティッシュ以上の価値はないのだろうか。
 いや、ある。なにせ、このチラシは割引券も兼ねているのだ。これを持ってご来店頂ければ、ティッシュ代など比較にならないくらいのお値引きができる。それならば。

 「美容室の割引券です!」

 声掛けの内容を変えた。似非メイドには勝てないが、高めで大きめの声を出すようにした。苦手だけど、なるべく愛想も振り撒くようにしてみた。
 すると、少しづつだが、手に取ってもらえるようになった。
 なんだ、私のやり方が悪かったのか。自分でも驚いたし、やっとコツを掴んだ気がする。チラシには私の名前の判子が押してある。たくさん配ってたくさんご来店頂ければ、私がそれだけたくさんご案内したということになるので、店内での私の株も上がるかもしれない。よし。もっともっと配ろう。

 調子に乗っていると、夕焼けはすっかり落ちきっていた。
 私と似非メイドのちょうど間あたりに、冊子のようなものを持った若い男性がやってきた。フラフラ歩き回り、背広の三人組に声をかけている。

 「居酒屋いかがっすか?」

 ライバルが増え、また新たな戦いがはじまった。

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