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ひっさびさにDVDで映画を観る

生来あまのじゃくなのだろうか。

ご存知のように新型コロナウィルスが蔓延し、ステイホームが叫ばれ始めて以降、めっきり、DVDでさえ映画を観なくなった。

都心に住んでるわけでもあるまいし、とっとと有料動画配信サイトと契約すればいいものを、どうも私の身体は、わざわざレンタルショップまで出向いて観たい作品を借りてくることに何らかの意義を見出しているらしい。

それはおそらく、近年、ますます映画館で映画を観るための経済的負担が増すなかで、なかなか劇場にいけないストレスの発現かもしれない。でも、以前はときどき劇場まで足を運んでいたものだった。

わざわざ足を運ぶ手間なしに、面白い作品を観れるわけがない、というか、面白い「体験」ができるはずがない、という古臭い考えが私を邪魔しているのを感じる。スクリーンで映画を観るに至るまでに、いろいろなことがあるのだ。例えば、劇場の開門を待つ列から聞こえてくる会話。したり顔でまだ観ぬ上映作品を解説する、むかつく奴(往往にして男なのだけど)の声とかも聞こえてきたりして。それもまた、魅力といえば魅力なのだ。できれば避けたいが。

それでたぶん、店舗に行けないのなら、映画館に行けないのなら、いっそのこともう映画を観るのはやめようという思いが強まったのだ。手持ちのDVDすら観ていなかった。

映画産業もこのコロナ下でたいへんな状況にあるらしく、「観る」ことが少しでも助けになることはわかっていた。
とはいえ私は、映画への愛があるなら感染さえ恐れずに映画館へ赴くぜ、的な、特攻隊員的な発想をするほどに古臭くはない。

しばしば映画を観る身にとって、映画を観ないこともまたすごく意義のあることなのだ。まあ中毒みたいなものだったから、観ないことで見えてくることの一方での豊かさ。これはこれで、以前のような一日一映画みたいな不健全な生活に戻ることをためらわすほどの魅力がある。コロナが春とともに発生したために、人混みを避けているうちに、植物や鳥や虫と向き合う機会が爆増えした。で、わざわざ画面で見なくても、目の前ですげえことが起こってるじゃん、と相成った。

【と、かれこれ3ヶ月ほどが経過。】

子どもといっしょに虫かごを買いに行ったついでに、久々にレンタルショップに寄ってみた。子どもが、原作者が「転げ回るほどの」レイシストである有名な魔法学校を舞台にしたファンタジーをどうしても借りたいというので、ついでに、黒沢清と井口昇の作品をレンタル。

その魔法学校ファンタジーはほんと、原作の事情を知らない身にとっては映像が言葉は悪いけど○ソみたいな内容だったが、それはさておき、井口昇の変態映画と、黒沢清のミュージカルの卵みたいな映画は最高だった。どちらも変態だと思った。

またこういう生活が始まるのかと思うと、うんざりしてもいる。

というのも夜が明けたら、子どもといっしょに久々に近所の映画館に行こうかと思っているから。どうせ、スクリーンで映像がただ流れるだけで感動して、ぼろぼろ泣くに決まっているんだから。それでなんで泣いてんのとか訊かれて、泣いてないとか、適当な言い訳をするのだろうな。

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