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30年を経て『河殤』を振り返る(6)

前回

“易家言”記事は、前回挙げた『河殤』への反論のしめくくりの段落の冒頭で、次のように語っている。

《河殇》学风不正十分严重。它根本不讲事物的内在联系,只是任意找来某些现象或字句,形而上学地拼凑在一起,进行马克思反对过的“肤浅的历史对比”。
事实也不核实,引文也不核实,甚至对马克思主义经典著作也采取了任意曲解的态度。

北京週報は以下のように日本語訳している。

『河殤』の学風はきわめてふまじめである。それは事物の内在の関係についてまったく語らず、かってにあれこれの現象や言葉をかき集め、形而上学的にマルクスが反対したような「浅はかな歴史的対比」を行ったに過ぎない。事実を確認しようとせず、マルクス主義の経典に対してすら、ほしいままに曲解する態度をとっている。

「マルクス主義の経典すら曲解」という表現に、図らずも中国共産党“王朝”が清朝以前の王朝における統制体制と本質的に同じであることが象徴されている、と考えられてならない。

現代の中華人民共和国が「古代」と呼ぶ清朝以前の経典とは、儒教経典である。

口伝されていたり散逸されたりしていたものが漢代に文書化経典化され始め、六朝から隋・唐にかけて仏教や道教と並立する時期を経て、南宋期に統治規範思想として確立した。

そして、経典そのままの文言では規範とはなりえず、朱子なり、王陽明なりによる解釈が規範となってきたのである。

“易家言”は、以下のような「マルクス主義の経典」の正しい「解釈」に従え、と言っている。
・「西洋の文化思想」はブルジョアジーである
・マルクス主義は「西洋の文化思想」の一部分を構成しない
・マルクスは太平天国を称賛したが、アヘン戦争を批判している

“学风不正十分严重”を北京週報は“学風はきわめてふまじめである”と訳しているが、“学び取った解釈は修正する術がないほど根本的に誤っている”と表現すべきほど激しい否定である。

儒教経典の世界で言えば、「朱子の注釈のどこにそんな解釈があるのだ!」と否定しているようなものだ。

中華人民共和国に思想・言論の自由がないことは、いまさら語るまでもないことだが、加えて彼ら自身が「古代」と呼び克服したとする従前の体制からも脱却していないのだ。

かれらは「古代」に対して辛亥革命以降を「近代」と呼ぶが、“近代化”していない。

そして、従うべき“解釈”が、前回挙げた“易家言”反論の内容である。

・「中華文明」が存在し、黄河、長城などの資産を基礎に、現代にいたるまで生産方式の発展を続けている。
・清朝最大版図に広がる“中華民族”が存在し、一体として独立していなければならない。
・「古代」の権力闘争と辛亥革命以降の革命運動とは異なる。
・中国共産党による“解放”は正しい。誤りは大躍進と文革のみ。
・“解放”即ち中国共産党指導の下での社会主義は正しい経済体制である。
・“解放”は、“科学と民主”の実現である。
・異なる発展段階の国でもマルクス・レーニン主義により社会主義化が実現した。
・工業革命と自由貿易の資本主義は帝国主義侵略を生んだ。
・西洋はブルジョアジーであり帝国主義である。“科学と民主”に相反する。
・中国共産党指導の下でこそ知識人は人民に貢献できる。

ここまで批判しながら、以下結語としているのは、やはり違和感を覚える。

以上は『河殤』がとりあげた若干の主要な問題についてのいくつかの見方であるが、まだ深く掘り下げて語られているとはいえない。これらの問題は疑いもなく重要なものであり、検討に値するものだ。異なる観点も当然十分に反映されなけらばならない。十分な資料を集めたうえで、多方面からの深く掘り下げた検討がなされることを望んでいる。
上面是就《河殇》涉及到的一些主要问题的几点看法,没有来得及展开来谈。这些问题无疑是重要的,值得讨论的。不同的观点,应当得到充分的反映。希望能在充分掌握、占有资料的基础上,进行多方面的深入探讨。

もちろん、こういう表現で『河殤』支援者に「反省」・「転向」を促している、とも解釈できる。

また、前々回採り上げた王震の動きも、いかなる動機と目的であったのか?

『中国最高指導者WHO’S WHO[1988年新版]』(蒼蒼社)には、王震は本来胡耀邦と密接な関係にあったこと、そして胡耀邦追及は鄧小平の指示に従ったものであるとの王軍の言葉が紹介されている。

実は、以下であったとは考えられないだろうか。

・胡耀邦追及により失脚を免れた。
・胡耀邦路線であることが明らかな『河殤』が発表された。
・本来胡耀邦支援であることが知られているので、失脚を回避するために『河殤』批判が必要と考えた。
・立場を明らかにするために、長老や幹部に意見を述べ、三中全会では趙紫陽にも意見した。
・知識人を守る意味も込め、言論界の人物に“易家言”論稿を書かせた。
・アリバイ作りと警告を兼ねて胡啓立と趙紫陽とに論稿を送った。
・趙紫陽が論稿発表を差し止めた、との事実を確認。
・趙紫陽失脚後の政情となり、論稿を発表。

あくまで妄想の世界である。

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