【100円ノート】アドラー心理学で時代を読む!第1回「承認欲求」
みなさんこんにちは、かんばやしです!
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アドラー心理学の第一回は「承認欲求」がテーマです。
アドラー心理学の本ではキーとして語られることも多いですよね。
昨今は『承認欲求の時代』と言われますが、承認欲求って何でしょうか?
簡単に言えば「他人や社会に認めてもらいたい」という気持ちです。
たとえばSNSや、このnoteでも「フォローして!」とか「いいねください」というのがいい例ですね。
それに対して「いいよ!」というのが承認欲求の肯定サイドです。
しかし否定サイドから見えてくるものこそ、承認欲求の本質なのです。
承認欲求の本質を語るうえで欠かせないフレーズがあります。それが
「悪はぜったい許さない!」です。
では「悪」とは何でしょうか。
「法律違反」
もちろんそうですが、それだと一瞬で話が終わってしまうので、ここでは「心にとっての悪」とします。
心にとっての悪、それは「他人に課題を投げつけられること」です。
たとえば気の弱いクラスメイトに「パン買って来いや」と命令するのなんかがそうでしょう。
正当な理由もないのに「あれをやれ」「これをやれ」と命令する。
つまり納得してないのに課題を投げつけられること、それが心にとっての「理不尽」です。
課題とはそれをやらなかったら困るのはだれかということなので、
この場合はパンを買うように命令した人の課題なのです。
パンを食べたいのは自分なのに、パンを買うという課題を他人に投げつけて、自分の問題に他人を巻き込もうとする。
そうやって他人の意に反して、自分の課題を他人に行わせようとする者が「悪」として人から嫌われて敬遠されたり、場合によっては凸撃されることもあるでしょう。
それが、「悪はぜったい許さない!」です。
ところがここからが問題になるのです。
例えば「悪は絶対許さない!」と突撃する際にネットで同調を呼びかける。
そのときに乗ってこない、自分たちに同調しない人がいたらどう思うか。
「正しくなければ許さない!」です。
ある人に対して何かムカついた(雑)
↓
そいつは悪である
↓
悪はぜったい許さない!=その悪を許さないことが正しい
↓
自分たちに同調するよう呼びかけ
↓
拒否する人やスルーする人、意見を見かける
↓
カッチーン(怒)
↓
正しくなければ許さない!
この「正しくなければ許さない!」というのが同調圧力です。
自分の呼びかけ(承認の要請)に対してスルーや拒否を感知すると、途端にカチンときてしまうのです。
なぜ我々は拒否されると怒ってしまうのでしょうか?
それは「自己愛」に抵触するからです。
承認欲求→拒否→自己愛が刺激される→怒り→(正しさを拒絶する=正しくないのは)許さない!
となるわけです。
つまり自己愛と承認欲求はセットなのです。
この自己愛というのがプレリュードでも述べた補助線です。
拒絶されると自己愛が刺激されるという事は、
ただでさえ何か気に障っている相手に抵抗すると、火に油を注ぐことになるのは当然と言えば当然なのです。
しかし、この「正しくないといけない」「正しくない者(こと)を許せない」というのはその人の世界観であって、他の人には関係ないわけです。
なのに「正しくなければ許さない!」と関係ない人を巻き込み、正しくなるように課題を投げつけます。
この構図、どこかで見たことありませんか?
そう、上の「悪」の流れを逆にしたものなのです。
つまり
「悪はぜったい許さない!」の「悪」と、
「正しくなければ許さない!」の「正しさ」はコインの表と裏
だったのです。
漫画や小説ではテーマになることが多いですが、理屈としてもそうだったということです。
さて、その「正しさ」に関連して重要なキーワードがあります。
それが「再現性」です。
昨今ネットで「マナー」への反発が起きているのをよく目にします。
反発の理由は、ぼくが見かけたのだと「論理的に正当でないのが許せない」「たかだか40年ちょっと前からの習慣には正当性がない」といった意見でした。
巷のマナーが適切か、どんなマナーが適切なのかはわかりませんので、そのあたりは割愛します。
ここで重要なのは、
「今まで成り立っていたことに対してメスが入っている」
ということです。
マナーに対する反感はその一端で、これ以外のことにも合理性、公平・公正などの様々な観点からメスが入り、その正しさを再現することが求められています。
「正しくなければ許さない!再現できなければ許さない!」というわけです。
この再現性にもいい面、悪い面があって、
たとえば気功のように今まで門外不出でオカルト的に伝えられてきたものが科学の視点から解析・研究され、
こうして私のような一般ピープルにも使えるように人から習うことが可能になりました。
そういう意味では再現性の時代とは科学(理)の時代と言えるでしょう。
あなたも普段はスルーしているようなことに妥当性が求められたり、
ふとしたきっかけで自分の行動の正当性を考えるようになってしまうかもしれません。
ところでみなさんは「フレーム問題」というのをご存知でしょうか?
たとえばテーブルのコップを持ち上げるのに、人はひょいっと目的のコップを手に取りますが、
人工知能にそれをさせる場合、必要な情報をすべて示した上で指示しなければなりません。
何を避けて、何をするのか、一つ一つ具体的に指示しなければならないのです。
ではどういう条件で指示すれば達成させられるか、という問題です。
注目すべきは、普段人間は目的に対して必要なこととそうでもないことを感覚的に判断して行動していますが、
一つ一つの動作をあらゆる事態を想定して手順を一々確認し、
事細かに意識してこなそうとするほど、その達成はとてつもなく難しくなるということです。
人間の脳は手を抜くことが得意で、ざっくりした計算の元に行動するのが人(脳)の特性なのです。
自分の行動や感情、その場の思考に一々再現性=正当性を求められるのは、そうした脳の特性に反しています。
おまけに簡単な、あたり前としてきたことほど過程は省略してきたわけですから、かえって証明が難しいのです。
その再現性を求められることのストレスたるや、われわれの脳にとって相当なものであるのは想像に難くありません。
この「正しさ」と「再現性」の二本柱を求められること(=正しくなければ許されないこと)が承認の時代の息苦しさの象徴と言えるでしょう。
そして「正直もう付いていけないよ」というところまで精神的に疲れている人が次に向かう段階が「課題の分離」です。
アドラー心理学では有名なところですよね。
しかし!ただ課題を分離しただけではつらい気持ちから逃れることはできません。
ここでもしっかりとした理解が必要なのです。
次回はその「課題の分離」をテーマに解説します。
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それでは今回はここで閉めたいと思います。ここまでお付き合いありがとうございました!
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