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神様は見ている?

人は何か良いことがあったり悪いことがあったりすると、神様は見ているんだねと言ったりします。

ほとんどの方がこのセリフを一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
いつも人に親切にしている人に何か良いことがあった時。
意地の悪い人に何か悪い出来事があった時。
いい意味でも悪い意味でも使われることがあるこのセリフですが、果たして本当に神様は見ているのでしょうか?

個人的にこのようなことは、ほとんどが必然的に起こっていることだと思っています。

なぜかというと人は思ったことや感じたことをその都度そのまま口に出すことの方が少ないと思うからです。

それに直接的に因果関係があることに関してはなぜそうなったかを説明するのは容易いですが、そうでない場合においてその出来事に対する必然性が思い浮かぶ方は少ないのではないでしょうか。

意外に人は人にされたこと、してもらったことを覚えているもんなんだなと思うことがあります。

私は過去に思ってもいなかった人が助けてくれたりすることがちょくちょくありました。
普段あまり話したことがない人や、そもそも接点があまりない方など様々ですが、こういうところを見てくれていたんだとか、こんなところもバレていたんだ…と
自分が思っているよりも人は良くも悪くも感じ取っているものです。

私は割と損得勘定に疎く…というかめんどくさいと感じる方なのでテイカーな人が苦手なのですが(場合によっては自分がテイカーになってしまっている事もあるかと思いますが)自分が損をしているだとか、その事自体を変えたいと思うことはありません。

むしろ自分の状態が悪い時に、自分のことしか考えずに接してしまった人は去っていってしまいました。
その時も大体の人は黙って去っていきます。

もちろんこんなことにならない人もいると思います。
苦言を呈される方はそれだけ人間的な魅力があるのでしょう。


人それぞれ自分のルールがあると思います。
大事なことだと思います。
その中で自分が何か誰かに与えてあげられる事をすることは尊いことだと思います。

これをすることによってどんなリターンが自分にあるか考えてすることには大した意味はないかもしれません。
ただただ人の役に立つ事を考えてすると良いんだと思います。

直接的に因果はなかったとしても回り回ってそれを感じる時はあるはずです。


目の前に見えていることよりももっと先にある大きいことに向かって分け隔てなく貢献していこうと思いました。

役に立てること自体に素晴らしい価値があると思います。

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