やらず嫌いの克服



「百聞は一見に如かず」

と2000年以上前に偉人が残した言葉は、まさにその通りだと思う。



おとなであるとか子どもであるとかそういうことは関係なく、食わず嫌いならぬ「やらず嫌い」をする人は世の中にたくさんいる。

おとなであれば、今までの経験から先読みをすることができるけれど、子どもの場合はそもそもその経験自体が(物理的に)少ない。だから楽しみな気持ち以上に不安な気持ちが大きくなる。

気持ちは言葉や行動となって現れる。「無理」「できない」「やりたくない」、そして「やらない」という選択肢を取る、そういう子どもをたくさん見てきた。

やったことないことをするとき、誰しも不安な気持ちを抱くものだ。







私はつい最近、「やらず嫌い」を克服した。それはサッカー観戦。友人からJリーグの試合観戦に誘われ、こんな機会でもないと絶対に行かないな、と思ったので行くことにした。

今までサッカーにほとんど興味を持っていなかった私は、たとえばW杯の試合中継があっても見ずに、翌朝のニュース番組で結果を知る、というくらいの温度感だった。

観戦に行こうかなと思ったことも過去にあったけれど、いわゆる「ウェーイ系」というか、ノリの良い人じゃないと楽しめないものだ、という先入観を勝手に持っていた。



でも、その先入観はすべて間違っていたとわかった。

すべてを言葉で表すのはむずかしいのだけれど、たとえば試合が始まる前のスタジアムの高揚感やファンの人たちの熱量、それに観客あっての雰囲気や、画面に切り取られているところだけでは見えない選手の細かい動き。

「サッカーなんてウェーイ系の人しか…」と思っていた私も、ゴールが決まった瞬間にはいつの間にか全力で叫んでいた。し、友人とハイタッチしていた。最初から最後まで圧巻だった。なんというか、お祭りの高揚感に似ていた。

サッカー好きの友人は最初から最後まで、この選手は元日本代表で、前はこのチームにいて、今ファールの笛が鳴ったから、であそこの選手は…とひたすら喋り続け説明してくれていた。






観戦したことによって私自身サッカーに詳しくなったか、といえばそういうわけではないし、ここでサッカーの良さを伝えたいというわけでもない。




ただ、不安な気持ちがあっても「とりあえずやってみる」ことがいかに大切であるか、改めて気付かされた。

そしてその中で、「そういうやり方(楽しみ方)でもいいんだよ」と言ってくれる人(友人)がいてくれたことが、とても心強かった。





技術が進化して、「百聞は一見に如かず」までいかなくとも、映像で見たりVRで体験したりすることができるようになった。

それでもやっぱり、実際にやってみるのがいい。そしてそれには、不安な気持ちに共感してくれ、かつ背中を押してくれる存在が必要だと思う。




子どもにとって、わたしもそんなおとなでいたいし、子どももいつか、そういうおとなになってくれたらうれしいな、と思っている。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?