「かわいい」は良い言葉か?
「かわいい」は様々なところで使われる。
動物がかわいい、仕草がかわいい、赤ちゃんはかわいいなど心が揺れ動き、安らぎや癒しを得られる物事をかわいいと言うのかもしれない。
しかも外国でもそのままkawaiiと使われており、日本語の繊細な心の情動を文字や言葉に置き換える言語形態は素晴らしいと思う。
定義が曖昧なので、自分にとってのかわいいを考えてみるのも悪くはない。
しかし、「かわいい」は良い言葉か? と言う疑問がある。
疑問なのは、使う人の姿勢だ。
端的に言えば「かわいい」は相手を見下した表現なのではないか? という疑問である。
自分にとって安全で無害で、一方的で支配できて、仕草が本能的で馬鹿をやっているのを見下すことができるから、心が癒されているのではないだろうか?
全ての「かわいい」に異を唱えているわけではないのは承知してほしい。
私もかわいいが好きだ。
自分がなぜかわいいと思うのか考えてみたら、ふとその疑問が浮かんだだけだ。
「かわいいって、上下関係を作るのでは?」
と、思ったのが事の発端。
かわいいは下から上には基本的に使うことはない。
果たして、かわいいと思うこの感情は良い物なのだろうか?
確かにそれは多くの人を幸せにするのかもしれない。
だが、一時的な幸せを享受するだけで、それは幸せではなくただの欲望を満たしているだけなのかもしれない。
欲を満たすためだけにかわいいを搾取しているのであれば、こんなにも悲しいことはないだろう。
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