言葉は鎖【思索】
言葉は思考する時、相手に何かを伝えるときなど様々な場合に用いる。
そして、とても強い力が込められているものだ。
言葉とは難しいもので、同じ言葉でも人によってそれぞれ解釈が異なるものだから意外と使い勝手が悪いものともいえるかもしれない。
たとえば、「リンゴ」を連想してみるとする。
ある人は、赤いリンゴを連想しただろうか?
ある人は、緑色のいわゆる青いリンゴを連想したかもしれない。
ある人はもしかしたら、昨日夢で見た黄金のリンゴを連想した可能性だってあるだろう。
そういう風に同じ単語を聞き取ったとしても、意外と人によって解釈は異なると言えるだろう。
だからといって「リンゴ」を別の言葉で表現することもまた難しい。
「赤くて丸い果物」という定義がりんごとは限らないからだ。
もしかするとリンゴではなくイチゴを連想するかもしれない。
物体ならまだいい方で、もっと抽象的なもの……たとえば感情だったらどうだろう。
感情は言語化することで、問題点が浮き上がり感情を整理することができる。
しかし、言葉には限界がある。
語彙力の有無はともかく、言葉では表現できない感情は、一体どう表現することになるのだろう?
おそらく、たとえ言語化できたとしても100%相手に伝えるというのはとても難しい事なのだと思う。
なぜなら、解釈は人の数だけあるからだ。
言葉は鎖でがんじがらめになっている。
言葉や文章だけではこのがんじがらめになった鎖をほどくことは難しい。
だからこそ、言葉以外の部分も洞察する必要がある。
話の抑揚やジェスチャー、どんな感情で話しているかなどを読み取る必要がある。
気持ちを伝えたいのなら、出来れば言葉そのもの以外にも目を向ける必要がある。
だからと言って、言葉そのものや文章を否定しているわけもない。
なぜなら、制限を設けるからこそ、表現の幅は広がるものだから。
要は使い方を考える必要があるということだ。
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