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母の料理本

かずの子、いくら、ブリ、れんこん、三つ葉、いくら、かつおぶし、こんぶ・・・

母がメモをしている内容を見ては、隣で「おせち料理とおもてなし」の料理本を見て、作り方をなんとなく読んでいた、というよりは見ていた。

いくらのキラキラした輝き、ピンとした粒のきれいな数の子。つやつやとふっくらした黒豆。花れんこんの白。黄金色につやっと煌めく、くりきんとん。お雑煮のページは地域ごとのお雑煮が紹介されていて、私は特にお雑煮のページが好きだった。いくらが好きなので北海道のお雑煮は憧れだった。小豆が入ってるお雑煮もあって、地域によってまったく違うんだ、と子供の時に学んだ。


私の父と母は、結婚をする随分前には、もうすでに亡くなっていた。この食にまつわるエッセイをできるだけ毎日書く、と決めていたので、この事実はいつか書くと思っていたが、思いのほか早く書く事になった。つい先日が父の命日だったから、という理由もあるかもしれない。

父が亡くなり、何年後かに母が亡くなり、自分が1歳ぐらいから20歳代前半まで過ごした家を売る、と決めた時、家から何を持っていくかを吟味しなければ、いけなかった。家具類は母が全く手入れをしていなかったので、処分決定だったし、家自体もお世辞にも「手入れが行き届いている」という状態ではなかった。ほとんどの物を売ったり、処分することになった。薄情だな、とか淋しいな、という感情の介入は一切なかった。消えないカーペットのシミを見ると、とてつもなく辛い思い出を思い出すし、円満な家庭よりは半円満な家庭ぐらいだっただろう、と自分は思っている。父と母には申し訳ないが、これは自分が今、結婚して、子育てを自分なりに「立派」にしているつもりだから、そう偉そうに言えるのだと思う。

家の中にある物の処分に関しては、淡々と「業者にまかせます」と弁護士と相談し決定した。それから大量の不用品の中でも、自分が持っていく物を選んだ。

それは母の使っていた調理道具の何種類かと、2冊の料理本である。その内の一冊は「おせち料理とおもてなしの本」

子供の時、暇があれば、おせち料理の本を見るようになっていた。年末はもちろん、春でも、夏でも、季節おかまいなし、である。料理本を見るというのは、実際に作る作らない関係なく、料理の写真が好きだったから見ていた、と思う。子供の頃から、大人になった今でもそれは変わらない。

かなり古いが、作り方はもちろんの事、一の重、二の重、三の重には何を入れるか、お正月の迎え方、おもてなし等々も書かれている。古いながらも、芯はしっかりとしているので、読み応え十分である。

今は義母の作るおせち料理を頂いている。初めて食べた時は美味しくて感動した、と同時に「同じ料理を作れるようになるのか・・・」と不安を抱いた。今年も一緒に買い出しに行く予定だ。買い出しから勉強させて頂きたい所存、何とぞよろしくお願い致します。


(投稿した後に、修正して加筆しました)

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