見出し画像

鹿せんべい

ベビーカーに乗っている頃から、「奈良公園」に連れていってもらっていた。

アルバムを見ると奈良公園の鹿とセットの写真が多い。母が私を産む前の写真の中に近鉄奈良駅前にある「行基像」の噴水前で撮った写真があった。とにかく奈良公園に行く事が多かったように記憶している。

近鉄奈良駅から奈良公園に向かって歩いていく。奈良公園は駅前にあるわけではなく少し歩かないとそのエリア辺りには入れない。近鉄奈良駅から奈良公園の辺りのエリアに行くとなると「国道369号線」沿いのゆるやかな坂の歩道を歩く人が多いと思う。迷う事はないし歩いていくと「ああ、あれが奈良公園ね」と思うような風景がだんだん見えてくる。

私たち家族はそのルートは通っていなかった。「ひがしむき商店街」を真っすぐに歩くと左手に坂の道が見える。お店の勝手口や普通住宅の玄関が見える道で、金属の車止めが見える。その坂道を上っていくと奈良公園に入る。


母から耳にタコができるほど聞いた話がある。

幼稚園に入る前の、まだ小さい時「鹿せんべいを買ってくれ」と言うので買ってくれたらしい。それを母がお手本を見せるように鹿にあげると、私は火が付いたように泣き出したという。鹿せんべいによってくる鹿。大泣きする娘。鹿せんべいをあげた事がある人ならわかるだろうが、ちょっとした地獄絵図である。「鹿にせんべいをあげるんやで」と言っても泣き止まない娘。あっという間になくなる鹿せんべい。何をしても泣き止まないのでもう一度鹿せんべいを買ったら、その鹿せんべいをひったくるようにして母から奪い、自分で食べたというのだ。

「びっくりしたわ、あの時は。ああ食べたかったんやな、と思ったわ」ははは、と笑いながら奈良公園に行くたびに話す母。「鹿せんべいのにおいはいいにおいやもん、たべたくなったんやと思うで」と、私は答えた。甘くて香ばしいにおい。においだけだとおいしそうなせんべいを想像させるのである。炭酸せんべいを思わせるあのにおい。

「私はその時鹿せんべいを食べきったん?全部?」と母に聞いた。

「一口かじった途端、まずい顔して地面に捨ててたわ。」

なんともバツの悪い話である。鹿せんべいを全て平らげてたら「くいしんぼう伝説」に名を残せたかもしれないのに。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?