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幼稚園の頃のお弁当

自分が子供の頃、幼稚園に行く事があまり好きじゃなかった。出来る事なら行きたくなくて、熱を出して休めないか、とかそんな事ばかり考えていた。

私の娘は・・・というと、正反対で全くそんな事はなく、とっても楽しそうに幼稚園に行っていた。年中さんの時は熱や風邪で何日か休みはしたが、年長さんの時は、指定の登園日は休むことなく、皆勤賞でみんなの前でたった一人表彰された。すごすぎる・・・と母親の私は他人事の様に思った。これが私の娘か・・・と。あまりにも違いすぎるので、他人事の様に思えてしまっただけで、娘に関心がないのとは違うのでそこはあえて説明しておく。

私の行っていた幼稚園は公立の幼稚園だったので、給食はなく、毎日が母親の作るお弁当だった。指定の曜日に幼稚園経由で業者に総菜パンを頼めば、お弁当ではなく、その総菜パンを食べる事ができた。クラスにはちらほら、その総菜パンを食べている子がいた。パンだから紙パックの牛乳もついている。ちょと羨ましいな・・・と思った。その子達が食べている、焼きそばパンや、サンドイッチが特別なものに見えたからだ。が、私は子供の時は何故か、市販の総菜パンが苦手で、サンドイッチは母親の手作りじゃないと食べた事はなかったし、総菜パンもマヨネーズが入っているのが多いので、パン屋で購入するパンは、もっぱらシンプルなドーナッツやあんぱんぐらい。なのに羨ましいと思ったのは、多分みんなが手作りのお弁当を食べている中で総菜パンを食べる、という事がちょっと大人びて見えたから、だと思う。なんか、子供の時ってそういう謎の感情や気持ちがある。上手くは言えないけど。

ある時、意を決して母親に「お弁当じゃなくてパンが食べたい」と申し出た。結構勇気がいる事だった。母親が傷つくかもしれない、と思ったからだ。お弁当が嫌なわけじゃないんだよ、と。だが、母親は渋った。私がサンドイッチや、焼きそばパンを食べるタイプの子供じゃなかったからだ。分かっていた、けど食べたかった。多分みんなと一緒なら食べれる、と思っていた。そんな私を母親は「食べられへんやろ?」と、説得をするが、私の意志は固かった。「絶対に食べれるから!」と言って私も母親を説得した。母親が折れて「そしたら明日に明後日の分のパンを申し込むよ、明後日はパンやな?キャンセルはできへんで」と、念を押すように私に言った。私はうん!と喜んで返事をした。

お弁当じゃなく、パンを食べる日が来た。朝、母親はお弁当は作っていなかった。それはそうだ、今日は注文しているパンを食べる日、なのだから。楽しみにしていた・・・筈だった。パンが食べれる事を。あんなにあんなに羨ましかったパンが、やっと今日、食べれる筈なのに。何故か母親がお弁当を作っていない事に不安を覚えた。心の中に正体不明の感情が沸き起こって、どうしたらいいか分からなくなった。みるみる内に、楽しみだった感情は消え失せた。今日は休みたい、とさえ思った。でも熱はない。風邪もひいていない。今更しんどくて休みたいなんて嘘はつけない。あまりにも勝手すぎるじゃないかと。それは分かっていた。幼稚園に行くために、母親の自転車の後ろに乗る。不安がだんだん大きくなる。空はどんより曇り空だった。まるで私の心の中を表わしているようだった。

幼稚園の正門でとうとう泣き出してしまった。「パンが嫌あああああ!!!!!」と。全くもって意味不明である。多分これを家の中で言い出した事なら、母親は怒り狂った事だろう。とんでもなくわがままな事なので、おそらく張り手が飛んでいたと思う。「あんたが、パンがいいって言ったんやで!!!!!!!」と。が、ほかのお母さんや、先生がいる手前そこまで怒る事はできない。私もみんなの前で泣くのはみっともない、と分かっていた。けど、どうしようもない不安を今日のパンが嫌!という事でしか説明ができなくて「パンが嫌!」と泣き叫ぶしかできなかった。わんわん泣き続けた。泣き続けて、あわよくば「今日は休みにならないかな」とズルい事を思った。が、そんなことになるわけはなく、とりあえず母親と先生と泣き叫ぶ私は職員室に行った。

パンが入っているケースらしきものを見せて「ほら、今日は焼きそばパンやで〜おいしいよ、先生も今日はパンを頼んでんで」と先生が言った。ケースに入っている、そこそこの数の焼きそばパン。そのラップに包まれた焼きそばパンがとんでもなく不味くて恐ろしいものに見えた。「嫌や。嫌。イヤ!!!!!」と、泣いた。先生も母親も困り果てていた。かたくなにイヤと言うので、母親は仕方なく「お弁当を作って持ってきます」とパンのお金を払い、焼きそばパンは持って帰った。家で食べるのだろう。母親が去った後も、私はまだぐずぐずと泣いていた。次は家に帰ったらしこたま怒られると、思った。それでまた泣いた。

その日は結局、母親の作ったお弁当を食べた。美味しかった。が家に帰ると怒られる、という事が頭の中を支配して、心は暗かった。焼きそばパンを食べている子も多かった。みんなは楽しそうに食べていた。

母親が迎えにきた。怒ってはいなかった。家に帰ってからも怒られる事はなかった。すごく安心した。その事について、母親は何も言わなかった。それからはパンを頼みたい、とは言わなくなった。ずっと母親のお弁当を卒園前まで食べた。

自分が母親になって、同じように娘を育てるようになって、あまりにも私と娘は違いすぎる、と思った。内気で、いじわるばかりされては、泣いていじけていた私とは全く正反対の娘。娘は嫌な事があっても決して、幼稚園に行く事も、学校に行く事も嫌がらず、笑顔で帰ってくる。「行くのが嫌」というセリフは一度も聞いたことがない。

何が違うか、というのは最近分かった。娘には安心感がある。家に帰ると、ママがいてパパが必ず帰ってくる、という安心感。家という完全に安心な場所が。

私はそうじゃなかった。母親も、父親も、妹もいた。でもそこに絶対的な安心はなかった。母親は自分を置いてどこかに行くんではないだろうか、という不安がずっとあった。父親も、いずれどこかに行くと思っていた。両親の夫婦喧嘩は絶えずあったし、それは壮絶だった。小さい頃からそれを目の当たりにていた私は、無条件で不安になった。毎晩、母親が消える夢を見てはうなされ、目が覚める。身体的な虐待はなかったものの、絶対的な安心感はなかった。

だから、いつもと違う「お弁当を作っていない」という事実が、自分が望んだ結果にも関わらず、正体不明の不安をよんだのだと思う。

今やっと、その正体不明の不安の謎が分かった。でも今は大丈夫。旦那がいて、娘がいて、旦那の父と母がいて、旦那の兄妹もいる。私はあの時とは違うし、あの辛かった環境を産み出す事はない、と。そう言い切れる。

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