流浪の月

「ロリコンなんて病気だよな。全員死刑にしてやりゃあいいのに」
誰かがぽつりとつぶやいた。

#読書好きとつながりたい
というタグがある。
わたしは読書が好きな人とつながりたいと思ったことはないけれど、『流浪の月』を読んだ人とはつながりたい。感想を読みたい。

この小説を読んでいる時、2度、読むのを途中でやめた。

1度目は、性的マイノリティを突っつかれて、どうやって消化したらいいのか、今が考える時なのかと迷った時。ほかの本を読み始めた。
2度目は、後半、読み終わりたくないと思った時。面白いし、読みやすいし、寂しい時に一緒にいてくれる本だなと感じた。

文が自分の性的指向にどれだけ苦しんでいたか、今なら理解できる。慈しんだ時間に比例して少女は成長し、大人の女性が現れる。どれだけ愛しても、最後は失われる。それもほんの数年のうちに。愛することも失うことも、なにひとつ自分の自由にはならない。

ロリコンの話だと、途中まで思っていた。わたしはロリコンではないけど、ロリコンの人に一生大事にされる幼い女の子でいたいと、子どもの時から思っていた。成長を止めたかった。そういう気持ちを思い出した。
今は、そういうのも含め悩ましい気持ちは、小さい獣になって丸くなって自分のなかで眠っている。って、こんな表現もこの本にあった気がする。丸くなって眠るとは、優しい言葉だと思った。ありがたい。

小児性愛は意志でどうこうできない、生まれついてのものだという。理性で衝動を抑えることはできても、愛する心まで摘むことはできない。努力で克服はできないし、自然な心情の変化を待つしかない。

こんな文章を読んで涙を流した。
自己憐憫かな。
正しい母親に育てられ、歪んでいく自分。正しさが歪みを産んで育てることってあるのかなあ。まだわたしの宿題は終わっていないと自覚した。
自分のなかで丸くなって眠る何かがいることも自覚した。

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