大東和重『台湾の歴史と文化』を読んで

台湾の歴史が知りたくて大東和重氏の「台湾の歴史と文化〜六つの時代が織りなす「美麗島」を読んだ。

台湾に興味を持った/住んだ日本人の学者や文学者の紹介が多く、なかなか独特な切り口の本だと思いつつ、読了したらめっちゃ台南に行きたくなる不思議な余韻が残った。

この記事では、「文化」と「歴史」2つの切り口で、私が面白いと思ったトピックを紹介します。


文化

美麗島 フォルモサ

台湾は別名「美麗島」「フォルモサ」と呼ばれる。フォルモサとはポルトガル語で美しい/麗しいという意味とのこと。1600年代の大航海時代、ポルトガルはマカオを支配、スペインはフィリピンを支配、そしてオランダは台湾を支配した。
そのオランダが台湾を支配する前に、ポルトガルが台湾のことを指して呼んだ言葉が、「フォルモサ」という名前だったらしい。


虱目魚(サバヒー)

台湾、とくに養殖池である台南でポピュラーな魚「虱目魚(サバヒー)」は養殖魚として世界最大規模の魚でありながら、日本人は全く食べない魚らしい。

インターネットで調べたところ、

  • サバとは全く関係ない魚(英語名 Milkfish)

  • もともと藻などを食べて育つ魚のため、ものによっては特有の生臭さがある

  • 小骨がとにかく多い

  • 台湾では皮の部分を使ったおかゆ、身の部分を使ったソテーなどをよく食べる

また台湾では、サバヒーをさばく加工ラインの仕事が雇用創出に貢献しているほどポピュラーな魚らしい。(参考


ザボン(文旦、ポメロ)

台湾で有名なフルーツの一つにザボン(文旦、ポメロとも言う)がある。南部の町「麻豆」はザボンの有名な産地で、今でも人気の「麻豆文旦」は、日本統治時には天皇陛下に献上されていたらしい。

ちなみにこの「ポメロ ミックスジュース」とっても美味しいです。


テレサテン

テレサ・テン、欧陽菲菲、ジュディ・オングは全員台湾出身。


塩酸甜

台南の昔ながらのスイーツとして「塩酸甜」というものがある。果物の砂糖漬けなのだそうだ。ネットで検索すると、駄菓子のような「紙に包まれたジャム」みたいなものしか出てこない。昔のものとは違うのだろうか。


阿美飯店

台南に行ったら、民権路にある「阿美飯店」に行ってみたい。有名店なのだそうだ。


台南のB級グルメ「棺桶パン」

台南で有名なB級グルメのひとつに「棺材板(棺桶パン)」なるものがあるらしい。
揚げた食パンの中にクリームシチューを入れたものだとのこと。食べてみたい。


海の守り神、媽祖

台湾の廟でよく祀られているのは、関帝(関羽)、王爺、そして媽祖の3つがトップ3だそうだ。媽祖とは、道教や仏教とは関係ない、海の守り神の女神だとのこと。
媽祖信仰のルーツは10世紀の福建省、実在する人物である黙娘(もくじょう)という女性が海を守る神になったとして信仰されはじめたのが始まりだそうだ。


台湾に渡った日本料理たち

日本統治時代、台湾人(本島人)に人気だった日本料理は、味噌汁、刺身、寿司、すき焼きだったそうだ。
とくに味噌汁が人気だったそうで、それゆえか台湾では今でも「味噌湯」という名前で味噌汁を賞味しているらしい。

刺身やすき焼きが人気だったのは、同時期に同じく日本統治下にあった朝鮮と類似した現象※のようだ。
※ 周永河『食卓の上の韓国史』 を読んだ情報をもとに

また、日本のさつまあげが台湾では「甜不辣(てんぷら)」という名前で定着したらしいが、これも韓国においてオデンという形で定着した(今は어묵 オムクと呼ぶ)のと近い。


歴史

高砂族と高砂義勇隊

日本統治時代の末期、太平洋戦争のときに日本は台湾の少数民族(高砂族)を「高砂義勇隊」として戦地に狩りだした。しかし戦争が終わって帰国すると、祖国は日本ではなく中華民国になっていた。日本政府から、戦時の報酬は支払われなかったらしい。


道の名前の変遷

台湾の道の名前は、歴史の経過とともに3つの名前があるらしい。

清朝時代の名称 → 日本統治時の名称 → 中華民国になってからの名称

中華民国になってからは、孫文(”号”が中山)や蒋介石(”名”が中正)にちなんだ「中山路」や「中正道」という名前が多数付けられたそうで、
“どの街に行っても、街の中心に出たければ、中山路や中正道をめざせばよい。(P126)”とのこと。


日本は台湾人に歓迎されたのか

日清戦争に日本が勝ち、1895年 下関条約にて台湾は日本のものとなった。その後、日本は基隆に上陸し、台湾の占領を始めた。しかし。

条約で決まったことだといえども、実際は台湾人たちは各地で様々な抵抗をし、日本はそれを武力・暴力で圧した。台湾人たちの抵抗と日本側の力での制圧は大なり小なり1915年頃までの20年間続いた。とのこと。

…考えてみれば、そりゃそうだ、と思う。条約だろうがなんだろうが、「はいそうですか」と素直に受け止められるはずもないだろう。
(なお以降 日本の統治スタイルは文人統治、法治スタイルへと切り替わり いっときの平穏を迎えたが、それも1937年の日中戦争の開始までのことだった。)


台湾と朝鮮戦争

中国国内では第二次世界大戦後、共産党と国民党の衝突が1945年 内戦に発展したが、台湾を統治したのは国民党の方だった。

共産党に押されていた国民党は1949年に敗色濃厚となったが、それが1950年 朝鮮戦争の勃発によって救われたとのこと。なぜなら、(まさに朝鮮戦争が始まった原因でもある)東西対立の世界情勢において、アメリカは中国が共産党によって統一され力を強めることを嫌がり、国民党に肩入れした(台湾海峡の中立化宣言)。それによって台湾の国民党は共産党の攻撃を受けることなく生き延びることができた、とのこと。


国民党と民進党

共産党との内戦がはじまってから台湾では国民党による戒厳令が敷かれたが、それが解除されたのがなんと約40年後(びっくり)の1987年。この頃、ようやく国民党とは別の政治組織が誕生、その名も「民主進歩党」。

なるほど、民進党と国民党の二大政党構造の背景にはそんな歴史があったのか。(というか台湾の国民党はもともと中国の国民党の名を受け継いでいるのか、と。)


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