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苔庭と石花

庭に石花(ロックバランシング)を積むということについて考えてみたこと。
※石花という呼称についてはロックバランシングの愛好団体「石花会」のHPをご覧ください。 http://ishi-hana.net/about/

日本庭園の定義がどういうものかは知りませんが、実例を見れば、ふんだんに石が使われていることは事実でしょう。「だから石花は日本庭園と相性がいいだろう」とは言いません。むしろ良くないパターンの方が多いかもしれません。例えば、有名な龍安寺の石庭に石花をあしらったなら、それが浮き上がった存在になりそうです。もし、兼六園の石灯籠の横に石花を立てたなら、石花が異質な個性を発して全体の調和を乱すようにも想像します。普通は「動かないもの」とされて配置されている石が、いまにも崩れ去りそうな形で存在することが違和感につながるからかもしれません。

ところが、日本庭園の中でも苔庭においては石花との相性は悪くありません。石花が苔庭にあっても異質性はあまり感じません。「なぜなんだろう」と考えてみたところ、ひとつ思いついたのが風のことでした。苔の生育に適しているのは、あまり風が通り抜けない場所です。いつも風が通っているような場所に苔は生えません。当然苔庭もあまり風が通らないような場所に作られています。方や、石花も風を苦手としています。少し強い風があたると崩れてしまいますから。「風との相性が良くないものどうし」として相性が良いのではないかというのが仮説です。

では具体的に石花が苔庭の風景としてどういう存在かと考えた時、「苔の上に落ちた紅葉の葉」のような位置づけで眺めることができるものではないか、と思い至りました。そこに固定化していない、かりそめの存在とでもいうもの。かりそめながら印象深い。風はあまり吹かない場所にありつつ、風が吹けばなくなってしまう存在、そんな位置付けで鑑賞できるように思います。

日本庭園にある「動かない石」達はいつ訪れても見ることができます。一方で、苔の上に落ちた紅葉の葉も、石花も、存在は儚く、それがある風景とは一期一会。そんな違いが相性に影響しているように思います。


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