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完璧を目指さないnoteの書き方

ここのところ、noteを毎日書いています。あと数日で30日継続です。やったね。もうちょっと頑張ります。

この記事は、毎日書き続けるために意識した1つのことをテーマにして書きたいと思います。

大事な記事を書くときに意識すること

最近、最所あさみさんの以下のnoteマガジンを読んでいます。

その中の 4. 書いたあとにかけたい一手間 の無料部分から引用させていただきますが、

作るときは、わがままに。
届けるときは、配慮を持って。

というスタンスがコツだと書かれています。これに僕はかなり同意というか、納得するところがありました。

自分はこの「作るフェーズ」と「届けるフェーズ」 を分けて捉えている節があります。その中で特に、会社の技術ブログに投稿する記事や、カンファレンスでの登壇の発表を作るときなどに意識していることに、以下のようなものがあります。

作るときは、書き手が体験した具体事例をもとに書く。
届けるときは、読み手視点に立って、抽象・一般化し、構造の整理をする。

作るフェーズは、とにかく具体を意識します。具体がなくていきなり抽象を考え始めると薄っぺらいなにかが出来上がります。その記事の「面白さ」みたいなものを規定するのはこの作るフェーズだと思います。

一方で、届けるフェーズでは、その具体例を整理して一般化するわけですが、これがないと、読者の役に立たないものができたり、書き手とは違う読み手のコンテキストで捉えられることによって内容が間違って伝わり、炎上に繋がったりもします。 (書き物とコンテキストについては最近書いた記事があるのでよければ見ていってくださいませ。 140文字とコンテキスト)

技術記事やなにかを説明する記事においては、多くの人に有益になることとこそが価値になるので、この届けるフェーズが重要なのは当然です。また、登壇では特に聴き手の時間を明確に奪っているので、特に聴き手視点が重要になります。

毎日記事を書き続けるときに意識すること

一方で、僕が毎日記事を書き続けるために意識していることは、ズバリ

「届ける」フェーズをすっ飛ばす。具体に寄せたまま抽象化や構造整理をせず、荒削りのまま出す。

です。

作るフェーズは、実はそこまで時間がかかりません。なぜなら、普段から考えていることやすでに起こった出来事、感情の動きなどをテーマにして書いているからです。作るフェーズは書く前から始まっていて、書くことはそのごく一部というわけです。一方で、届けるフェーズは、まだこれまでに行っていない抽象化や整理をやるので、時間がかかります。

そして、抽象化のフェーズは意外と難しいものです。そもそも自分自身が具体事例を整理して理解できていないこともあります。そのまま下手な抽象化をすると、すごく当たり前の結論に行き着いてしまったりする。

それよりは、自分の生の思考や感情を残しておいたほうが、意味があると思います。

あとは、ある程度具体的なほうが、同じクラスタに属している人に対しては刺さったりすることもあったりします。僕が書く記事を読んでくれる人は、いわゆるWeb系に属するソフトウェアエンジニアが多いです。(他のクラスタに属する方にも読んでもらえたらもちろん嬉しいのですが。)そうすると、ソフトウェアエンジニアリングに関する用語をテーマにしたほうが、伝わる率は高かったりします。これはもしかしたらクラスタを狭める結果になっているかもしれませんが... (本当に有意義なものだったらちゃんとリライトすればいいかな、と)

では、僕の過去記事を例にあげて見てみます。

具体例1: 「"クソコード"は人格攻撃ではないのか」

最も読まれた記事です。この記事、最初は確か「コードレビューはなんのためにやるのか」みたいなタイトルだったんですよ。これも一つの具体的テーマをおいていると言えますが、論点が多岐にわたります。そうするとどうしても整理して書かざるを得なくなるし、長くなる。しかもn番煎じなのでせっかく頑張って書いても読まれないかもしれません。

なので、途中でタイトルを変えて、コードレビューの中での論点の1つをクローズアップして、思うままに書きました。

結果としては、バズった結果、具体例が悪かったせいで真意が伝わらなくなり炎上気味になった、というケースになりました。クソコードっていう言葉が本質ではなかったし、クソコードに一家言持ってる人が多すぎて収拾がつかなくなった。

冒頭に紹介した最所さんのマガジンを読んで実践すると、こういう炎上の仕方は避けられそうです。

ただまあ、毎日書いてたらそういうこともあります。この記事を出して数時間くらいのフォロワー近辺に読まれている時間は平和だったんですが、どうしてもコンテキストをすっとばして読まれはじめると伝わりにくい。

でも、それを極端に気にしすぎると続かないんです。

上で収拾がつかなくなったと書きましたが、実は、読者側から真意を理解して整理しようと試みてくれる人も何人かいました。

その極みがこの記事です。

これは本当にミラクルでした。自分が抽象化フェーズをすっ飛ばしてどうとでも解釈できるような記事を書いてしまった結果、自分ができるよりも深い思考をもって抽象化して整理してくれた人が出た。

読み手に解釈をあずけることで、もしかしたらそういうことも起こるかもしれない、ということです。

具体例2: 「社内の人に軽々しく謝罪しないでほしい」

これは昨日書いた記事です。白状すると書き始めたのが23:40すぎくらいで、15分しか時間がありませんでした。とにかく毎日書くことにしてるので、15分で書きます。これは、昨日実際にあったことへの気持ちを綴っています。当然抽象化フェーズを取る時間はありません。

ただ、これを書いた時間は15分なのですけど、その感情やそれに至るまでの行動は、もっと前にあるわけです。「作る」フェーズは書き始める前から始まっている、ということですね。

ここの記事では「社内コミュニケーション」という具体例を出しています。社内か社外か、が本質だとは実は思いません。ただ、そこの整理は意外と難しいなと思ったし、整理しなくても会社に属してる人はそこそこ多いわけなので、とりあえず「社内にはむやみに謝らないようにしよう」みたいに思ってくれた人がいたら、下手に一般化するよりも有意義な記事になっているかもしれないと思います。

それと、僕の中で、読者はバカじゃない、っていう思想があります。社内って書いてあるからって社内にしか応用しないわけじゃないし、それぞれの立場で置き換えて想像したりするじゃないですか。なのでそこはなんというか、あえて読者に考える余地を残しておいた方が、いいこともあるのかなって思うんですよね。

この記事は短い時間で書いたけど、反応も多かったし、社内のslackでも有意義なフィードバックをもらったりしました。それから、以下の記事を紹介してもらいました。こういう整理の仕方もあるな、と納得させられました。

最後に。自己言及

この記事も雑な整理なわけです。例えばタイトルにはnoteって書いてあるし、内容も僕がnoteに書き続けるために意識してることを書いてますが、内容の大半は別にnoteじゃなくてもいい。

ただこれは、自分の中では意味がないわけでもないです。noteというのはクリエイターのプラットフォームで、投稿されるものはある種の創作物とみなされます。創作物とは何かという話ですが、自分の線引きをまだ言語化できてないんですが、例えば備忘録みたいなのは創作物には含まれないとしていて、自分の中で創作物だと言い張れるものを投稿しています。

その中で、「読み手に解釈をあずける」というのは、創作物としては「やってもいい」ことだと僕は思っています。というか、意外と創作物ってそういうものなんじゃないかな。むしろ、創作物って、作者が全部解説するんじゃなくて、読み手の受け取り方が様々というものが多いんじゃないか?

...みたいな話を全部抽象化していくと、本当はより洗練された記事になるのかもしれません。だけど、(この記事に戻る)

noteの通貨流通量を増やしていきたい!!