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ウォーターサーバーの水を換えろ

職場でウォーターサーバーを使っていて、水が空っぽになっている。すぐ隣に替えの水があるとする。しかし、その一杯の水を飲むためだけに水を替えるのは面倒、割に合わないからやらない。

これは局所最適、囚人のジレンマの均衡解に陥っているような状況です。本来であれば、「ある分量の水を飲もうと思ったときに、その分量を出す前に水が空っぽになったら交換する」を全員が守っていれば、確率的には、自分の飲みたい分だけ交換の労力を割いているのと同じ役割を果たすことになり、全体最適になるわけです。

けれど、そういう状況を作り出すのは意外と難しかったり、コストがかかったりすることがある。

まず、ルールを作るのは意外と難しい。中には重たいものを持てない人もいるし、それを公表できない人もいるかもしれません。重たいものを持てない人は水を替えなくても、他のところで貢献してくれれば総合的には良かったりします。全員に同じ課題に同じだけ貢献させるのもそれはまた最適じゃなかったりする。

こういう課題には、自助努力や性善説といった、ボトムアップの文化で立ち向かうのが最適だと思っています。行動する人は自然に感謝されて評価されるような世界観です。また、例えばウォーターサーバーの水の換え方をわかりやすくする掲示をする、のような、エバンジェリスト的存在が自然に発生するというのも、良い兆候です。

で、本来こういう自助努力の文化で解決できることが、そういう方向に向かなくなったら、その組織は黄色信号なんじゃないか、と思います。「誰かがやるだろう」という空気が蔓延したり、「水を交換するチームを作ろう」あるいは「こういった横断的課題一般を解決するチームを作ろう」となる。もちろん、ある一定以上の専門性が求められる場合は専任のチームが必要になることはありますが、そんなん何個チームつくっても足りないじゃないか。そしてその道を進めていった結末は、悪名高き、サイロ化です。

と、こんなことをいうと、「意識で解決」みたいな感じで、プログラマーの美徳に反しているような気もします。けれど、結局組織というのは人間の集まりなので、人間の意識や習性に目を向けないわけにはいきません。意識や習性すらも理解してコントロールすべきです。そこを無視して「仕組みで解決」に走るのは、間違った解決方法になり得ると思います。

もちろん、ウォーターサーバーはただの比喩の一つであって、これはたとえば事業会社内のソフトウェアエンジニアリングにおいても同じようなことが起こると確信しています。ついつい局所最適に陥ってボーイスカウトしなかったり、横断チームみたいのが出来るとそこに丸投げしてしまう。それは人間の習性として理解しつつも、積極的に抗っていくのが知性なんじゃないかと思いますね。

(謝辞: 本記事は @shinpei0213 さんとの会話に着想を得て書きました)

追記:

「全体最適」とか言うと「役職の高い人は時間単価が〜」みたいなことになりがち。こうすると下っ端がやらされることになって最悪のパターン。まだうまく抽象化できてないけど、こういう状況は避けなければならない。

完全に一枚上手な例。本記事で言っているボトムアップな文化とは矛盾しないが、本記事では「自分のことは自分でやる」という状態を起点にしているけど、さらに一歩進んでいる。単に筋トレ好きなら水を換えるのがwinというわけではないけど、ここから生まれるコミュニケーションや感謝、雰囲気なども含めて考えたら完全にプラスを産み出していてこれこそが仕組みで解決か〜って感じだ。


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