noteに対する期待

「好きなWebサービスはなんですか?」という質問を、新卒のときの就活の面接でされたことがある。僕の答えは「えきから時刻表」だった。その答えが原因かはわからないが、残念ながら僕はその面接にてお祈りされた。(ちなみに、隣の人の答えは「Android」だった。残念だけどおそらく彼も落ちただろう...)

その時は、つまらない答えをしてしまった、もうちょっと最近のはやりのサービスを答えればよかったのに、などと後悔したものだが、今振り返って考えてみると決して悪くない答えで、むしろほめてやりたくなる。えきから時刻表は、必要十分な情報がストレスなく取得でき、それぞれの情報がリンクでつながっている。SEOも嫌味なく強いので、必要な情報にたどりつくまでのアクション数も少ない。紙の時刻表と比べた利便性の向上は明らかで、Web 1.0 (?) の成果が凝縮されていると感じるのだ。

それに、その当時はやっていたWebサービスで、とりわけ便利だとか心を揺さぶられるものは、当時の自分にはなかった。

この時期は、とにかく「ユーザー視点」「引き算」が重要であるというようなことが多く語られていたように思う。機能を多くすればするほどユーザーは離れると。それは一定の真理だと思う。しかし、1つのサービスをヘビーに使うのが好きだった自分にとっては、どうもこの考え方が好きになれなかったようだ。少ない機能で大衆受けするようなサービスは、少し触っているうちに飽きてしまうことが多かった。

その後、縁あって僕はWebサービス, Webアプリケーションと呼ばれるものを作る業界に入って、いろいろなサービスを見て、Webの進化を感じてきた。
その中で2018年、これは面白いな、と思うWebアプリケーションに出会った。Scrapboxである。社内である人が試験的に導入した後、爆発的に広まった。(その様子をインタビューしてもらっている記事があるので興味のある方はぜひ見てほしい。)

良いプロダクトなので特に何も考えなくても便利に使えるのだが、Scrapboxには哲学が明確にある。それが非常にopinionatedであることが大きな特徴だと思う。

Scrapboxを使っていて、プロダクトのバックグラウンドにある哲学が強固である、ということの重要さに僕は気付かされた。対象としている領域、情報のアウトプットとその共有ということについて、ここまで深く洞察されていることに驚かされる。そして、その哲学が強固であることの帰結として、余計な機能は削ぎ落とされ、機能が少なくなるのである。

作り手の意思が見える、強い哲学があって作られているサービスなのではないか、と傍目から見ていても思っていたのが、noteだ。深津さんを始め、中の人の発信を見るにつけ、そういうワクワクを感じていた。

実際に登録して始めて見ると、初っ端から驚かされる。ヘルプとしてまずおすすめされる記事に書いてあること、"PVやフォロワーよりも、楽しむことと続けることが重要だ"というメッセージは、昨今のSNSやキュレーションサイト等々への強いアンチテーゼではないだろうか。普通よくあるのは、「友達に見てもらおう」とか「多くの人に見てもらうには」みたいのが最初にくるパターンだと思う(最近の流れに毒されすぎかもしれないけど)。バズったら勝ち、のような現象を単に追認するのではなく、独自の哲学をもってプロダクトがデザインされていることがよく分かる。

作り手の顔が見えるサービスを楽しめるというのは、なかなか贅沢なことだと思う。もっとも、いまユーザーになったばかりなので、noteのバックグラウンドにある哲学について知っていることなどまだほとんどない。なので、しばらく何も知らないユーザーとして楽しみながら、その背景にあるものに思いを巡らせていきたいな、と思う。

そんな経験が多くできたら良いなと思う、2019年の始まりでした。

noteの通貨流通量を増やしていきたい!!