子育ての7割くらいは観察と傾聴なのかなあと

息子はすごく忘れ物が多いのだけど、この間妻が息子に、学校にxx忘れてきたでしょ、と言ったら、息子が「あっ!」というリアクションをした。

僕は離れたところでやりとりを聴いてたのだけど、その瞬間、あれっコイツちよっと成長したか? と思った。妻も全く同じ感想だったようで、後でこのことを報告してくれた。つまり、今までだったら、「うーん?」という反応で、何を言ってものれんに腕押しといった感じだったわけだけど、今回の反応を見るに、忘れ物をしちゃいけない、あるいは忘れ物をしたくない、というところまで進歩したわけだ。

多分、親以外だったらなんとも思わないだろうという、なんてこともない局面で、親二人の感想が一致したところに面白さを感じた。

他にも、なんということのない会話の中の表現とかでも、こういう表現したのは初めてだな、みたいのがあって、そういうのでよく妻との認識が一致する。お互いによく子供のことを見てるんだなって思えて嬉しい瞬間だ。

子供の成長は速い。速いけど、毎日見てるがゆえに、気づきにくい。文字を読んだり数を数えるみたいな認知能力に関してはまだわかりやすいんだけど、性格とか気持ちの面での成長はわかりにくい。けど、わかりにくいがゆえに、そういう非認知能力的なところの成長を感じたときの嬉しさみたいのはけっこう強い。

なんとなく思うのは、子育てにおける主な要素は、こちらから何かを与えることよりも、子供の表情、感情の揺れ、言葉、できるようになったこと、etc...を、見る、聴く、理解する、というところなんじゃないかなって思う。

たとえば、褒めるということにしても、多分、おおげさに褒めることとかよりも、見逃しがちな小さな成長を褒めることのほうが、大事なのかなって思う。親しか見つけられない成長とかは必ずある。

逆に、できないことを無理にやらせちゃったり、逆にできることを横取りしちゃったりして、成長のチャンスを逃したりする。特に子育ての最初のころはわかってなくてそういうのが多かったかな。

別の見方をすると、子育てには忍耐力が必要なのかもしれない。何か言ったらすぐ成長するわけじゃないし、待つことばっかりだし。けど、忍耐っていうとつらそうだし、僕は忍耐力持ってないし...。なので、よく観察することで小さな成長を見つけることができれば、ひたすら待つことを忍耐と思わなくてもすむんじゃないかな、と思ったりする。

まあこれが子育ての全部では絶対ないんだけどね。うまく与えることとか、うまく遊ぶとか、いろいろある。子供と遊ぶの下手なんだよな...。上手く遊べるほうがよかったなー。うーん。

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