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【本】羅永生『誰も知らない香港現代思想史』(丸川哲史、鈴木将久、羽根次郎訳、共和国)

 「・・・私は戦後ベビーブーム世代の人間です。香港でコミュニティが生み出され、発展してきたプロセスおよびその中で直面したさまざまなチャレンジや困難を目の当たりにし、自分自身も経験してきました。いつの段階でも、香港人は相対的に限定された空間で、自分ではどうにもできない力に向き合い、やむことなく応酬し、闘ってきました。一連の抗争には解決すべき課題があり、ときには社会の分裂と衝突を生み出してきましたが、矛盾は発展の過程で一歩一歩克服され、ダイナミックな政治文化を生み出してきました。この社会は、個人の物質的利害のほかに、独特な公共的価値観をしだいに形成しつつあります。この公共的価値観は、単一のイデオロギーには回収しがたいもので、むしろさまざまな批判的思想リソースを混交した結果なのです。こうした事跡および経験は、「経済都市」といった人為的なイメージで覆いつくせるものではありません。
 私は本書で、香港人がさまざまな段階でそれぞれの時代の歴史的テーマにいかに向き合ったかについて、整理し、反省し、さらには批判を加えました。各論考のなかで、植民・冷戦・返還などの大きな歴史的背景、およびその中での社会運動、市民意識や主体性の成長といった問題を論じています。こうした問題は、アジア・太平洋の歴史のダイナミズムの中にいる香港の問題ではありますが、実のところ、他の国や地域でもかつて直面した、あるいは現在直面している問題なのです。香港からの観察と反省が、他の地域の友人たちになにがしかのヒントを与え、ともに議論を進める基盤を築けたらと願っています。
 多くの問題について、香港はしばしば「例外」とされてきました。人はいつも「周縁」「隙間」といった語彙で香港のおかれた状況を描写します。「例外論」は、香港を孤立させ、香港の経験を真剣に考える態度を奪いました。「周縁論」は、香港を中心に対する従属の地位に安置し、いわゆる周縁と中心が時間と条件の変化に伴って変位しうることを見えなくさせました。「隙間論」は、香港を安易に主体的なエージェンシーを持つことのない受動的客体にしました。もちろん、こうした言い方とは相反しているかのように見えながら実は呼応している同じように偏った観念、すなわちネオリベラリズムのグローバル化による単一的な視角もあります。その視角では、香港はさまざまな「中心」だと論じられました。「中心」になりたいと望むこうした虚妄な欲望は、実のところ、金融センター論の変奏にすぎません。一九九七年に香港特別行政区が成立したとき、こうした自我の膨張は、香港をさまざまな活動や産業の中心にするといった言語バブルになりはて、「返還」後の最初の政府を崩壊させることになったのです。

 主権委譲の前後、香港は誹謗と自己卑下と言語バブルに振り回されました。そこに一九九八年のアジア金融危機が発生し、経済の領域から社会・文化・政治などの領域へと危機が拡散し、転移しました。二〇〇三年の大規模な「返還記念日」デモから始まり、最近のオキュパイ・セントラル/雨傘運動にいたるまでの運動は、すべて一連の危機の表れです。香港人を大量に動員したこうした抗争によって、香港はふたたび国際メディアに注目されるようになりました。しかしその結果、アジアの他の国や地域にも大きな波紋をおよぼし、アジアではかつてあまり見られなかった地域を越えた政治的連帯が促され、香港がアジアにおける政治の一つの中心地点になりました。・・・」(「はじめに」より)。

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