【ロジャバ】なぜ世界はシリアの革命的クルド人を無視するのか?/デイヴィッド・グレイバー


以下は、デヴィッド・グレイバー(David Graeber)の「なぜ世界はシリアの革命的クルド人を無視するのか?(Why is the world ignoring the revolutionary Kurds in Syria?)」の部分的な試訳です。誤訳のご指摘、精緻化の助言いただければ幸いです。

事情にあかるいわけではないので、適当かもしれませんが、2014年10月9日付ガーディアンのこの記事がロジャバの出来事の意議を明快にメジャーなメディアで伝えた最初ではないかとおもいます。ちょうど四ヵ月にわたるISISとの死闘の端緒にあって、グレイバーの筆致は悲壮さもただよいますが、その死闘においてクルドの革命はISISをくだしています。

「シリア北部のコバニでの決定的勝利だけでなく、イラク北部でも、イスラム国に対して軍事的勝利を収めているのは、ほぼクルド人部隊だけ」(藤永茂)。(S)

————

1937年、私の父親は、スペイン共和国の防衛に立つべく、国際旅団に志願した。ファシスト志望者によるクーデターは、労働者の蜂起によって一時的に食いとめられ、アナキストや社会主義者がその先鋒をつとめ、スペインの大半で、正真正銘の社会革命が起き、都市全体を直接的な民主的管理のもとに、産業を労働者による管理のもとにおき、女性の急進的なエンパワーメントにみちびいた。

スペインの革命家たちがのぞんだのは、世界全体がそれにつづきうる自由な社会の展望をつくりだすことであった。それに対し、世界の強国たちは、「不干渉」の方針を宣言し、共和国への厳格な国境封鎖を継続した。ヒトラーやムッソリーニが、建前上、不干渉協定への参加国であるにもかかわらず、ファシスト側の強化のために部隊や武器をつぎこみはじめたあとですら、そうだった。その結果は、数年にわたる内戦であり、革命の鎮圧で終わり、血塗られた20世紀のうちでももっとも血塗られた大量虐殺の一例となったのである。

私は自分の人生で、おなじようなことがふたたび起こるとは考えてもみなかった。いうまでもなく、歴史上の出来事は現実にはくり返し起きることはない。1936年のスペインで起きた出来事と、現在、北シリアの主としてクルド人の占める三つの地区で起きている出来事のあいだには多数の違いがある。しかし、いくつかの類似点もとても目を惹き、とても痛ましくもあるので、多くの点でスペイン革命の刻印を負っていた家族で育った者として、次のように発言するのは義務であるように感じるのである。すなわち、私たちは二度とおなじ轍をふませてはならない、と。

いまあるようなロジャバの自治地区は、シリア革命の悲劇からあらわれた数少ないあかるいスポット————きわめて光彩を放つそれであるが————の一つである。2011年にアサド体制の代理人を放逐してから、近隣地区のほとんどすべての敵意にもかかわらず、ロジャバはその独立を維持しているだけではなく、それ自体が注目すべき民主主義的実験なのである。人民集会(popular assemblies)が、最終的な意思決定組織として設立され、注意深く配慮されたエスニックなバランスをもって評議会が選抜されている(どの自治体でも、たとえば、トップの三人の役人には一名のクルド人、一名のアラブ人、一名のアッシリア人かアルメニア人クリスチャンがふくまれなければならないし、そのうちの一人は女性でなければならない)。女性や若者の評議会がある。スペインの武装したムヘリス・リブレス(Mujeres Libres、自由な女)を彷彿とさせる、フェミニスト部隊である「YJAスター」部隊(「自由な女性たちの組合」という意味。ここでのスターは、古代メソポタミアの女神イシュタルを指している)は、ISの部隊に対する戦闘活動の大部分を担っている。

どうしてこんなことがありえたのだろうか、そしていまだ国際社会はおろか、国際的左翼にすらほとんどまったく無視されている、などということがどうしてありうるのだろうか? おそらく、主要な理由は、ロジャバ革命党、PYDがトルコのクルド労働者党(PKK)連携しているからだろう。PKKは、マルクス主義的ゲリラ運動であり、1970年代以来、トルコ国家に長期にわたる戦いをいどんでいる。NATO、アメリカ合衆国、EUは公式にかれらを「テロ」組織と位置づけている。他方で、左翼のほとんどはかれらをスターリニストとみなしている。

しかし、かつてのレーニン主義的トップダウン型政党の面影は、いまのPKKにはまったくない。組織内の展開と、1999年以来トルコのある島の監獄に拘禁されている創設者アブドッラー・オジャランの知的転回によって、目標も戦術も完全に変化している。

もはやクルド国家の建設は目標としないとPKKは宣言している。そのかわり、社会的エコロジストでありアナキストのマレイ・ブクチンの思想に部分的に触発されながら、PKKは「リバタリアン自治主義」の展望を採用し、クルド人に、直接民主主義の原理にもとづく、自由で、自己統治するコミュニティの形成を呼びかけている。クルド人は国境を越えて結集せよ、というのである————やがてますます国境は意味を失うことが期待されている。このようにして、かれらは、クルド人の闘争が、真の民主主義、協同的な経済、官僚主義的国民国家の漸進的な解消にむけての世界規模の運動にとって、一つのモデルとなりうる、と提起しているのである。

2005年からこのかた、PKKはチアパスにおけるサパティスタの蜂起の戦略に刺激を受けて、トルコ国家に対して一方的な停戦を通告し、すでに統制下にあった地域の民主主義的構造を発展させることに全体重を傾けることになる。これらがどこまで真剣なのか、疑うむきもある。そこに権威主義的要素が残存しているのはあきらかである。しかし、ロジャバ、すなわち、シリア革命によって、クルド人の急進派が広域にわたる近接地域でそうした実験をおこなう機会をあたえられたロジャバであるが、そこで起きていることは、これが決して粉飾ではないことを示している。評議会、集会、人民部隊が形成され、地域の資産は労働者の管理する協同組合に委譲された————これらすべてがISISのような極右勢力による継続的な攻撃にもかかわらず進行しているのである。これらの成り行きはいかなる点からしても社会的革命と呼ぶにふさわしい。中東においては、すくなくとも、こうした努力は注目されてきた。PKKとロジャバの勢力が介入し、イラクにおけるISISの占領地域で成功裏に戦いぬき、クルド・ゲリラ組織のメンバー(peshmerga)が戦場から撤退したあとシンジャール山に捕縛されていた多くのヤジディ教徒を救出したあとはとりわけそうである。これらの行動はこの地域で広く称えられたが、しかし、注目すべきことにヨーロッパや北アメリカのメディアではほとんど報じられることはなかった。

現在、数十機のUS製戦車とイラク軍から奪った重砲で武装したISISが舞い戻り、コバニの革命的戦士の多数に復讐をしかけている。全民間人の殺戮と奴隷化————そう、字義通り奴隷化なのだ————を求めていることを、かれらは公に宣言している。その一方で、トルコ軍は国境にとどまり、増援部隊や攻撃手段が防御側に届くのを妨害しているし、米軍の航空機はさわがしく頭上を飛び回り、たまにシンボリックなおざなりの攻撃をくり出している————どうみても、交戦相手であると宣言しているはずの集団によって、偉大な民主主義的実験の防衛者たちが鎮圧されているのをやりすごしているとしかいいようがない。

フランコの皮相なまでに敬虔で残忍なファランヘ党と、今日、重なるものがあるとしたら、それはISIS以外のなんであろうか? スペインのムヘリス・リブレスと重なるものがあるとしたら、コバニのバリケードを防衛する勇気ある女性たち以外のだれがいようか? はたして世界は歴史がくり返してしまうのを本当に許してしまうのか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?