【ヨーロッパ、ギリシャ】希望をもたぬことの勇気/スラヴォイ・ジジェク

以下は、New Statesman7月20日付記事、スラヴォイ・ジジェク「ジジェク、ギリシャについて———希望をもたぬことの勇気」(Slavoj Žižek on Greece: the courage of hopelessness)の冒頭部分と、後半の後半の試訳です。かなり長い論考全体にわたって、興味ぶかい論点が多数、指摘されています。誤訳のご指摘、精緻化、向上のご提案、いただければ幸いです。(M)

(http://www.newstatesman.com/world-affairs/2015/07/slavoj-i-ek-greece-courage-hopelessness)

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イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンはインタビューでこう言っている。「希望をもたぬことの勇気」———とりわけこの歴史的瞬間にはふさわしい洞察である。もっとも悲観的な分析ですら、概して、トンネルの終わりの光がみえるといったたぐいの、気分をあげることを言わずには終えられない、この現代にあっては。真の勇気は、オルタナティヴを想像しないことであり、むしろ、はっきりとしたオルタナティヴがないという事実の帰結を受け入れることにある。つまり、オルタナティヴの夢は、理論的なひ弱さのサインなのである。それは、フェティッシュとして機能して、私たちがいまの苦境について最後まで思考を貫徹させることをさまたげている。要するに、真の勇気は、トンネルの果ての光と思ったものが、たいがい、反対方向からこちらに接近してくるべつの列車のヘッドライトであるということを認めることだ。今日のギリシャ以上にこうした勇気の必要を示してくれる事例はない。


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2015年4月、フランソワ・オランドはテレビでマリーヌ・ル・ペンはいやま言ってることが1970年代のジョルジュ・マルシェ(フランス共産党のリーダー)そっくりだと発言した———国際資本に搾取されるふつうのフランスの人々の苦境についておなじような愛国的口調で告発している、マリーヌ・ル・ペンがシリザを支持するのも不思議はない・・・というわけだ。しかしこれはおかしな話だ。ファシズムも一種の社会主義だ、という使い古しのリベラルの決まり文句を一歩も超えていない。移民労働者のことを視野にいれるなら、こんな重ね合わせなどすべて瓦解する。

究極の問題ははるかに根源的である。現代左翼にいくども回帰するストーリーは、あまねき熱狂でむかえられたリーダーあるいは政党が、「新世界」を約束するが(マンデラ、ルラ)、ところがおそかれはやかれ、たいていは二年後には、中心的ジレンマにつまづく。資本主義の機構にあえて手をつけるのか、あるいは、あえて「ゲームをプレイするのか」[資本主義にのっかるのか]?もし資本主義の機構に手をだそうとすると、即座に、市場の動揺、経済的カオスなどなどによって「懲罰」をくだされるわけだ。

シリザのヒロイズムは、デモクラシー次元での政治バトルに勝利したあとも、さらに一歩進んで、<資本>のスムーズな運動をかき乱すというリスクをおそれなかったことだ。ギリシャ危機の教訓は、究極的には象徴的なフィクションだとしても<資本>はわれわれの<現実的なもの>であるということである。つまり、今日の抗議行動と叛乱は、さまざまなレベルの結合(重なり合い)によって維持されているし、この結合はその強みである。かれらはデモクラシー(「正常な」議会)のために権威主義体制と闘う。レイシズムやセクシズムと闘う。とりわけ移民や難民にむけられた憎悪と闘う。福祉国家のためにネオリベラリズムと闘う。政治や経済における腐敗と闘う(環境を汚染する企業などなど)。多党制の儀式を越えたあたらしい形態のデモクラシー(参加などなど)のために闘う。そして最終的にはグローバル資本主義システムそのもを問いにふし、非資本主義的社会の理念を生き生きと維持するようこころみる。ここでは二つの罠が回避されるべきである。一つはあやまてる急進主義(「真に問題なのはリベラル議会主義的資本主義の廃棄であり、ほかのすべての戦いは副次的なものだ)。そしてあやまてる漸進主義(「いまわれわれは軍事独裁や単純にデモクラシーのために闘っているのであり、だから社会主義の夢は忘れよう。そのあとに来るかもしれないし・・・・たぶん・・・」)。

われわれがある特殊な闘争に直面しなければならないとき、カギとなる問いは次のようになる。それに私たちが関与するかあるいは撤退するかが、どのように他の闘争に影響をあたえるだろうか? 概して、抑圧的な半民主主義体制に抵抗して叛乱が生じたとき、2011年の中東のように、大衆ウケとしかいいようのないスローガンでもって大衆を動員するのはやさしい———腐敗ではなくデモクラシーを、などのような。しかし、それからわれわれは徐々により困難な選択に接近する。われわれの叛乱がその直接的目標を達成したとき、実際に自分たちを悩ませていたもの(不自由、屈辱、社会的腐敗、品位ある生活の見込みのなさ)があらたな装いで回帰しているのに気づくのである。エジプトでは、抗議者は抑圧的なムバラク体制を打倒するのに成功したが、腐敗は残った。品位ある生活の見込みもかつてよりさらに遠のいた。権威主義体制の転覆のあと、貧困者への家父長的ケアの最後の痕跡もふきとんだ。あらたに獲得された自由は、事実上、どの悲惨さをえらぶかという自由にまで縮小してしまった。つまり、多数が貧困にとどまっただけではなく、傷に塩を塗るかのように、君たちはいまや自由なのだから、貧困は君自身の責任だよ、といわれるようになったのである。このような厳しい状況のなかで、われわれは、目標そのもののうちに欠陥があったことを認めねばならない。この目標が十分に具体的でなかったこと、たとえば、標準的な政治的デモクラシーはまた不自由の形態そのものとしても機能しうること、これらを認めなければならない。つまり政治的自由は、「自由に」みずからを隷属労働に売却することのできる恵まれぬ者たちをみればわかるが、経済的奴隷制にいともかんたんに法的枠組みをあたえることができる。それゆえ、たんなる政治的デモクラシーを越えた要求が必要になるのである。すなわち、社会的・経済的生活の民主化の要求である。要するに、われわれが認めなければならないのは、(民主主義的自由という)問題のない原理がただ十分に実現できなかっただけという失敗にみえていたものは、実は、この原理そのものに内在する失敗であるということである。この不十分な実現という観念のゆがみから、この観念そのものに内在するゆがみへの移行を学ぶことは、政治的教育学における大いなる前進である。

支配的イデオロギーは、ここでその武器庫総体を動員し、このラジカルな結論にいたるのからわれわれを阻止するだろう。こう語りはじめるのである。民主主義的自由は責任をともなうのだ、対価が必要なのだ、デモクラシーからそれほど多くを期待するには成熟していない、などなど。このようにして、支配的イデオロギーはわれわれの過失を責めたてる。自由な社会ではわれわれはみな資本家である、と言い聞かされる。成功したければ、生活に投資し、ただ楽しむのではなくもっと自分の教育につぎ込まねばならない。より直接に政治的レベルでは、アメリカの外交政策は、民衆の蜂起を、許容できる議会主義的ー資本主義的制約のなかに回路づけることでダメージの管理をはかる詳細な戦略を練り上げてきた———アパルトヘイト体制崩壊以降の南アフリカや、マルコス体制崩壊後のフィリピン、スハルト以降のインドネシアなどで成功してきたように。まさにこのような状況にあって、ラジカルな解放の政治はその最大の挑戦に直面している。最初の熱狂的段階が終わったあとにことをどのように推し進めていくのか。いかに「全体主義的」誘惑の破局に屈することなく次のステップをふむのか。要するに、マンデラから、ムガベになることなく、どのようにさらに前進するのか。

希望をもたぬことの勇気がこの点で重要なのである。

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