【本】パリコミューンの意味/クリスティン・ロス

以下はJacobin誌2015年5月4日付インタビュー記事、Kristin Ross & Manu Goswami ,What can the Paris Commune offer to present struggles for emancipation? の部分的試訳です。誤訳のご指摘、精緻化、向上のご提案をいただければ幸いです。クリスティン・ロスはニューヨーク大学比較文学教授ですが、すでに翻訳があります(箱田徹訳『68年とその後———反乱の記憶・表象・現在 革命のアルケオロジー』航思社、2014年)。マヌ・ゴスワニはニューヨーク大学の歴史学助教授。ここではロスの最新著であるパリコミューン論『コミュナルな贅沢——パリコミューンの政治的想像世界(Communal Luxury: The Political Imaginary of the Paris Commune)』について語られています。

末尾に、べつのインタビューからの抜粋をくわえ補足としておきます。(S)

(https://www.jacobinmag.com/2015/05/kristin-ross-communal-luxury-paris-commune/)

————

1871年の3月18日、職人たちとコミュニスト、労働者、アナキストは、パリ市を掌握し、コミューンを設立した。この急進的な社会主義的自己統治の実験は72日間存続し、そのあと、残酷な虐殺のうちにたたきつぶされる。そしてそれがフランスの第三共和政を設立するのである。しかし、社会主義者、アナキスト、そしてマルクス主義者は、それ以来、その意味を議論しつづけてきた。

クリスティン・ロスの力強い新著『コミュナルな贅沢——パリコミューンの政治的想像世界(Communal Luxury: The Political Imaginary of the Paris Commune)』は、コミューンについての蓄積された議論について、アナキズム・対・マルクス主義、農民・対・労働者、ジャコバン的革命的テロル・対・アナルコサンジカリズムなどの誤った二極に硬直化させてきた、とはっきりと整理している。

・・・
Manu Goswani(以下Q) この本はパリコミューンを私たちのこの時代のためにふたたび俎上にあげるものです。コミューンが私たちの現在の要求を考察するためのリソースであるのはなぜなのでしょうか?

Kristin Ross(以下A)「教訓」ではなく「リソース」という言葉を選んでいただいてうれしいです。よく過去は教訓をあたえるとか、避けるべき過ちを教えてくれるとかいわれます。コミューンについての文献は後知恵、求められてもいない忠告、嬉々とした誤謬の列挙などであふれています。コミューン参加者があれこれをおこなっていれば、つまり銀行からカネをひきだしていれば、ヴェルサイユに行進していれば、ヴェルサイユと和平をむすんでいれば、もっとうまく組織化していれば。そうしたら、成功していたのに! こういうわけです。

私のおもうには、この種の事後的な理論的優越性は無意味であり、深刻なまでに非歴史的です。私たちのいまの世界はコミューン参加者の世界ではありません。この事実を真に理解するならば、かれらの世界が事実、私たちの世界にきわめて近いもので#ある#ことを理解するのはたやすくなります————おそらく私たちの両親の世界よりももっと近いのです。

人々は、とりわけ若い人々はいま、コミューンに参加した19世紀の労働者や職人のおかれた状況と似た経済的不安定性のなかで生きています。その参加者のほとんどが、時間のほとんどを労働ではなく労働を探すことについやしていました。

2011年のあと、空間を占拠し、場所やテリトリーを奪取し、都市を————イスタンブールからマドリッド、モントリオールからオークランドまで————戦略的行動のための劇場に転換させることに足場をおいた政治的戦略が、事実上、あらゆる場所で回帰してきました。それとともに、パリコミューンはあたらしい照明を当てられる、あるいは、あたらしい姿であらわれるのです・・・。

政治的介入のその形態は、私たちに教訓ではなくリソースとして、あるいはアンドリュー・ロスが私の著作について述べたような「使えるアーカイヴ」になりました。コミューンは、一方では資本主義的近代化のとったコース、他方では功利主義的国家社会主義のとったコースとは異なる、ある歴史のための表象、そしてたぶん未来の表象となったのです。

これはおもうに、多くの人々が今日共有するプロジェクトです。パリコミューンの想像世界[イマジナリー]はこのプロジェクトの中心にあります。このために、この本ではコミューンを、私たちの背後の過去に属するものとして、と同時に、私たちの現在の闘争のただなかにおける可能なる未来の領域の一種の開けとして、考察を試みたのです。

Q 『コミュナルな贅沢』はコミューンの芸術部門のモットーであり、この著作のタイトルです。この一節の由来について教えていただけますか?

A
「普遍的共和国」とは異なって、「コミュナルな贅沢」はコミューンの決定的なスローガンではありません。私はこの一節を、芸術家や職人たちが一つの連合に組織化するさい、コミューンのもとで作成したマニフェストに最後の一行としてひっそり収まっているのを発見しました。私にとって、それは一種のプリズムとなりました。それを通して、多くのカギとなる発明やコミューンの理念が屈折するプリズムです。

このフレーズの作者は、装飾芸術家のユージューヌ・ポティエですが、今日ではそれとはべつのテキスト、「インターナショナル」の作家として知られています。血の一週間の終盤に、まだ虐殺の血の生々しいうちに作曲されました。かれやかれ以外の芸術家が「コミュナルな贅沢」で考えていたのは、「公共の美」におけるプログラムのようななにかです。つまり村々や町町の魅力の向上であり、万人が愉快な環境で生活し働く権利です。

このことはささいで「装飾的」でもある要求にみえるかもしれません。しかし、それは実際に私たちと芸術との関係のみならず、労働、社会的諸関係、自然、そして生きられた環境との関係の完全な再構成をもたらすものでした。それが意味するのは、コミューンの二つのスローガンの完全な実現を意味していました。つまり脱集権化と参加です。それが意味するのは、秘私的領域を脱して日常生活に完全に統合されたアートと美です。それはプライベートなサロンに隠匿されたりも猥褻な国家の記念碑に集権化されることもないのです。

社会の美学的リソースや成果は、コミューン参加者が行動であきらかにしたように、ウィリアム・モリスが「ナポレオンの家内装飾品の基礎材」と呼んだもの、すなわち、ヴァンドーム広場のコラムのようなかたちをとることはないでしょう。コミューンの事後の生として、ルクリュ、モリスやそれ以外の人々の著作において、アートと美が日常生活で花開くようにという要求は、今日私たちが「エコロジカル」と呼ぶ一連の発想の輪郭をふくんでいます。そしてこれは、たとえば、モリスの「批判的な美の観念」やクロポトキンによる地域の自給自足の重要性の主張にも跡づけることができます。そのもっとも思索的な射程において、「コミュナルな贅沢」とは、社会がなにを評価するのか、なにを貴重なものとみなすのかについて、市場があたえるものとは異なる価値評価の基準ないしシステムを含意しているのです。自然は資源の蓄積庫ではなく、目的それ自体として評価されるのです。

Q あなたの本はコミューンの声明を、とりわけクロポトキンの著作やイギリスの社会主義者ウィリアム・モリスの著作にまで広げています。

A フローベールのいうコミューンの「ゴシック性」に、慄然としつつ魅惑されるのはきわめてたやすいことです。「ゴシック性」ということで、フローベールが、血の一週間のまぎれもない恐怖やコミューンの終結をもたらした無数の虐殺を念頭においていたことを祈るばかりです。私は決して虐殺の重大性を低く見積もるもつりはありません————実際に私は、その階級敵をまるごと次々と殺戮するこの国家の異常な試みこそ、第三共和政の創設的行為だったとみなしています。

しかし、私がより関心をよせるのは、コミューンの#延長#といえるようなものを記録することです————つまり、コミューンの生存者や亡命者は、あなたのふれられた支援者たちに出会い、協同しながら、コミューン参加者たちの思想を、血の一週間を超えて生き延びさせ、精緻化させつづけました。私の関心はそのあり方にむけられています。これらの同伴者たちにとっては、コミューンという出来事はジャック・ランシエールが「感性的なものの配分」と呼ぶだろうものを深部から変えました。

私が描いているのは、出来事としてのコミューンの衝撃波が、それにつづく、コミューンの生存者との議論や交流とともに、これらの思想家たちの方法、争点、かれらの選ぶ素材、かららのおかれた知的・政治的風景を変えた、そのあり方です。要するに、かれらの軌跡です。これらの直接的な余波は、べつの手段による闘争の継続だったのです。かれらは出来事の過剰の一部であり、街頭での最初の行動とおなじく、出来事の論理にとってどこからどこまで決定的なのです。

おそらく最大の変化をみてとることができるのは、コミューン以後のマルクスの軌跡です————その変化は、理論の強化と同時に、理論の概念そのものとの決別という逆説的な形態をとります。コミューンはマルクスに対して、大衆が歴史をつくるだけではなく、そうすることで現実のみならず理論それ自身もつくりなおしていることをきわめて明確なものにしました。これは、事実上、アンリ・ルフェーヴルが「生きられたものと考えられたものの弁証法」について論じるときに念頭においていたものです。

一つの運動の思想や理論は、運動とともに、そして運動のあとにおいてのみ、解き放たれます。行動が夢をつくるのであって、逆ではないのです。

Q ペーター・クロポトキン、エリゼ・ルクリュ、ウィリアム・モリスは、あなたによれば、前資本主義的・非資本主義的諸形態とむすびついた「時代遅れのもののエネルギー」と、擡頭せる実践のラジカルなポテンシャルとをむすびつけることに熱意をよせていました。

A  クロポトキン、ルクリュ、モリスだけではありません。マルクスもまた、同時代の前資本主義的な生活の諸形態や諸様式のなかの「アナクロニスティク」な存在に大いなる関心をよせました。数世紀ものあいだ存続していたロシアの農業共同体オプシチナの運命は、西洋社会主義者の主要な関心でした。コミューン以後に形成された理論的努力は、再活性化したコミューン形態の問いを周囲を回転します。すなわち、主要なヨーロッパ都市で起きたおどろくべき叛乱と農村におけるこうしたふるい共同体的諸形態をどうともに考えるのか。

これらの思想家は全員が「時代のひだひだ」とでもいいうるものに多大なる関心をよせました————資本主義的近代の継ぎ目のなさのなかに卵のようにひび割れがあらわれる、そういう契機です。歴史家は一般的にアナクロニズムを犯しがちな最大の誤りとおそれます。かれらは、たとえば、モリスの、当時のアイスランドや中世的過去への関心を、錯乱したノスタルジアとしてハナから退けます。モリスは実のところ、前資本主義的な生活の形態や様式を、中世アイスランドにおいて開花したような過ぎ去った過去であり歴史の一部であるとみなすのと#同時に#、可能なる未来の形象化ともみることができたのです。

おもうに、これはノスタルジアの、ではなく、深部から思考を#歴史化する#方法のしるしなのです。それがなければ、私たちは変化の可能性を思考する方法も、現在をなにか偶有的で開放されたものとみなす方法ももたないのです。(以上)

————


補足

C パリ・コミューンについていまどんなあたらしいことが言えるのでしょうか? その歴史は何度もくり返し書かれてきました。コミューンについての有力な歴史書になにをあなたはつけ加えたのでしょうか?

R コミューンについてなにがあたらしいことを理解したり述べたりするにはいまは実際にとてもいい時代なのです。というのも、この出来事は、二つの優勢な歴史記述から、いわば「解放されて」きたからです。それらの歴史記述は、私たちが叛乱について感じとり理解できるものを統制するか枠づけてきました。つまり、一つはめは公式の国家共産主義の歴史であり、二つめはフランスのナショナルなフィクションです。1989年以来、コミューンはもはやボルシェヴィキ革命に比しての失敗した革命という役割を演じるよう強いられる必要がなくなりました。それ以前、ボルシェヴィキ革命は、コミューンの失敗を克服した、ということになっていたのです。私の本の多くの部分が、コミューンの激しい反国家主義やそのふかい非ナショナルな想像力が、たとえフランス共和主義史の急進的な流れのなかといえども、たやすく統合されてしまうのを、不可能とはいわないまでも困難なものにしてきた、そのありようにむけられています。コミューンは実際にはこの二つのストーリーのどちらにも属していないのです。・・・

 『コミュナルな贅沢』はパリコミューンの歴史ではありません。私にとってそれは、かつてサルトルが言ったように、いま「可能なるものの場を開くこと(ouvrir le champ du possible)」のために、この異例の出来事の歴史に介入するという試みなのです。しかし、そうした介入をなしうるのは、出来事の特異性/唯一性、その独特さの現象学、存在様態を尊重することによってのみです————コミューンに参加した特定の諸個人が言ったこと、おこなったこと、みずからのおこないについてかれらの考えていたこと、かれらの借用し、発明し、討議した言葉や名前です。私にとって、このことは、コミューン参加者自身の手によるテキストの方をかれらについて書かれたテキストよりも、調査のなかで重視するということを意味します。そしてそれは、たいてい歴史学者や政治学者————私はそのどちらでもありません————がやるよりも、もっと綿密にこれらのテキストを読むということを意味します。この種類の配慮は、一部は文学研究の訓練から学んだことであり、一部はだいぶ以前にジャック・ランシエールの初期の著作に出会い翻訳したことから学んだものです————労働者の過去からの声は、今日、かれらをめぐって理論を構築する者たちの声よりもはるかに注目するに値する、という発想を、私はランシエールに負っています。共同で行動し、社会のヒエラルキー的組織を解体しようとした具体的な諸個人の言葉や主体性にフォーカスすることで、コミューンを歴史的に————過去に属するものとして————、かつ、可能な未来の形象として考えようと試みたのです。この本は言い換えれば、現在の闘争のただなかから、かたや資本主義的近代化かたや功利主義的国家社会主義のとった道筋とは異なる歴史の可能性や未来を、自分なりの仕方で再開するものなのです。おもうにこれは、私たちの多くが今日、共有するプロジェクトであり、このプロジェクトの中心にコミューンがあるとみています。

コミューンの歴史は、とりわけ古典によるそれは、しばしば軍事的戦略や街頭闘争、そしてパリ市庁舎での立法をめぐる紛議のばかり注目してきました。もっと最近だとイギリスの経験主義の潮流には、死んだコミューン参加者のうちの正確な戦死者を確定することに執着するようになったものもあります。結局、そうした戦死者の数え直しは、虐殺の意議を低く見積もることにつながります————私はこのアジェンダを共有していないのは確実です。虐殺の意議を低く見積もる、あるいは不法な戦争の「成功」を最大限に大きくみせることは、つねに戦死者の数を強調することを含意しています。私としては、その階級敵をまるごと次々と殺戮するこの国家の異常な試みが————それがどれほどの人数をうまく根絶したのかにはかかわりなく————第三共和政の創設的行為だったとみなしています。しかし私自身の関心は、それよりもはるかに、ブノワ・マロン、ポール・ラファルグ、セルジュ・ルクリュ、レオ・フランケルのようなコミューン参加者の亡命者や難民がマルクス、クロポトキン、ウィリアム・モリスのような支援者に出会い、協同しながら、コミューン参加者の思考を、血の一週間を超えて生き延びさせ、精緻化させつづけたか、そのあり方を示すことにむけられています。フランス語の「survie[生存]」はうまくそのような生を越えた生について喚起してくれます————べつの形態での闘争の継続です。アンリ・ルフェーブル————フランスではいまほとんど忘却されていますが南北アメリカでは広範に読まれている思想家です————は、運動の思想や理論は運動それ自体とともに生まれるかそれ以後に生まれると考えていました。それは政治的行動の解放するエネルギーの不可欠の一部なのです。コミューンにつづく数年、ロンドンのカフェやジュラの山地で生じた議論や実践において、私たちが現在エコロジカルと呼んでいるコミューン形態への注目をみることができます。それは協同して、反乱的コミューン(insurrectional commune)————まさにパリでその春に生まれて消えたものです————田舎のふるい農業共同体[コミューン]の残存地域とのつながりのなかで、考察する試みでした。ここには、道徳的ないし倫理的ふるまいとしてではなく、政治的戦略としての連帯の実践についての深い再考がみてとれるのです。アナキズムにもマルクス主義のどちらにもべったりと依存することなく、その両者からの借用によって形成された社会的変革のヴィジョンの発展もみてとれます。その発案者たち、そのほとんどがかつてのコミューン参加者ですが、かれらが「アナキスト・コミュニズム」と呼んだヴィジョンです。抑圧者との政治的闘いと搾取者との経済的闘争とを対立させるのではなく統合して考える、この種の政治的分析は、今日でも活動家サークルのうちに強力に反響しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?