【レイシズム、フランス】共和主義の理念は差別と嫌悪の武器と化した/ランシエール

以下は、ジャック・ランシエールの2015年4月2日付のインタビュー記事「共和主義の理念は差別と嫌悪の武器と化した」(Jacques Rancière, Les idéaux républicains sont devenus des armes de discrimination et de mépris)の試訳です。使用したテキストは

(http://campvolant.com/2015/04/04/jacques-ranciere-les-ideaux-republicains-sont-devenus-des-armes-de-discrimination-et-de-mepris/)

からのものです。誤訳のご指摘、精緻化、向上のご意見など、いただけたら幸いです。(Q)


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Q 三ヶ月前、フランスは表現の自由と共生の名のもとに街頭行進にくりだしました。最近の地方選挙では、国民戦線のかつてない躍進がありました。これらのたてつづけの展開は一見して矛盾していますが、あなたはどのように分析しますか?

A そこに矛盾があるかどうかがたしかではないとおもうのです。一月の攻撃についてはあきらかにだれもが非難することで一致するでしょう。だれもがそれにつづく大衆的反応も歓迎しているとおもいます。しかし、「表現の自由」をめぐって私たちが示す満場一致は、ある種の混乱をひきおこします。実際には、表現の自由とは、個人と国家の関係を規制する原理です。表明される反対意見を妨害することを国家に禁じるものなのです。

しかし、シャルリー・エブド誌への1月7日の攻撃は、まったく異なる原理で非難されています。すなわち、だれかが言っていることが気にくわないといってそのだれかを撃ち殺してはならない、という原理です。そしてこれは、いかに個人が共生しうるか、たがいに尊重しあえるのかについての方法を規制する原理なのです。

しかし、問題のこの次元に関心をはらわれず、表現の自由の原理に焦点をしぼるというやり方がえらばれました。そうすることで、私たちはこの数十年のあいだ、大いなる普遍的価値を、一部の住民を資格剥奪さえする目的で利用するという、長期にわたるキャンペーンにあたらしい一章をつけくわえたのです。「よきフランス人」、すなわち、共和国、ライシテ[フランス国家の世俗主義]と表現の自由の側にたつ者を、必然的にコミュニタリアンでイスラム主義者、不寛容でセクシスト、後進的とみなされた移民に対立させることによって。

私たちはしばしば普遍主義を私たちの共通の原理として引き合いにだします。しかし普遍主義はそれ自体、奪用されるし操作もされます。それがある集団にきわだった特徴に変形されるとき、特定のコミュニティへの非難として奉仕するのです。とりわけ[イスラム]ヴェールに対抗する熱狂的なキャンペーンを通じて、のように。1月11日[共和主義パレード]はこの普遍主義の脱線を克服することはできなかったのです。パレードには、共通の原理を擁護する人間と排外主義的感情を表現する人間のあいだの区別もなく、ともに参加していたのです。

Q ライシテを重んじる共和主義モデルを擁護する人間は、われしらず、国民戦線への道を清めるのに奉仕しているとおっしゃるのでしょうか?

A 国民戦線は「脱悪魔化(dédiabolisé)」されてきたといわれています。これはなにを意味しているのでしょうか? この党は露骨にレイシストであるようなメンバーは追放してきた、ということでしょうか? そうです。しかしなによりも、国民戦線の考えと、共和主義の系譜に属しているとされる品格ある(respectable)考えのあいだの違いが消えたということです。

この二十年ほど、排外主義とレイシズムに議論によって貢献してきたのは、ある知識人たち、いわゆる「共和主義的」左翼知識人たちです。国民戦線はもはや、移民がわれわれの仕事を欲しがっているとか連中は小悪党だ、という必要はありません。かれらはライシテを重んじていない、われわれの価値を共有していない、コミュニタリアンだ、などと宣告するだけで十分なのです。

偉大な普遍主義的価値———すなわち、万人に、男性にも女性にもあてはまる共通ルールであるライシテ———は、「われわれ」(こうした価値を支持するわれわれ)と「かれら」(支持しないかれら)のあいだを区別する道具と化してきたのです。いずれにしても国民戦線は排外主義的主張を節約することができるわけです。排外主義的議論ならば「共和主義者」がもっと見栄えのいいかたちであたえてくれるので。

Q あなたによれば、ライシテの意味が倒錯しているというのですね? あなたにとってライシテとはなんでしょうか?

A 19世紀にはライシテは共和主義者にとって政治的道具であり、カトリック教会にがっちり支配されていた学校を解放するために活用されました。とりわけ、1850年のloi Falloux以来そうです。

ライシテという観念が意味するのはこうして、この締めつけを打破するためにとられた手段の総体のことだったのです。1980年代から、それを大きな普遍的原理となすことが選択されてきました。が、ライシテはカトリック教会と国家との関係を規制するものと考えられていたのです。ところが、大いなる操作によって、ライシテはだれもが従うべきルールへと変形されてきたわけです。もはやライシテを奉じるべきは国家ではなく、個人の方なのです。

それでは、だれかがライシテの原理を破ったということをいかにして特定できるのでしょうか? 頭になにをかぶっているか、ということで、です・・・私が幼いころ、厳粛な聖体拝領の日、学校に非カトリック教徒の友人に会いにいきました。聖体拝領者の腕輪をしたままで、図像を配ってまわりました。しかし、これがライシテへの脅威だとはだれも考えませんでした。当時は、ライシテは基金の問題であると考えられていました。国立学校への公的基金、私立学校への民間基金です。

このライシテは国家と私立学校の関係に重点がありましたが、しかしながら、埋葬され、べつのライシテにゆずりました。個人の行動を規制すると称し、その物理的な恰好によって住民の一部をスティグマ化するライシテです。ある人たちなどは、子どもの前でヴェールをかぶることを禁じる法を要求するということろまで妄想をふくらませています。

Q それにしても、このスティグマを与えたいという意志はどこからきているのでしょうか?

A いろんな原因があります。ある部分はパレスチナ問題にむすびついてもいるでしょうし、それがこの国で培養されてきた相互不寛容の諸形態にもむすびついているでしょう。しかし、それにくわえて「左翼の大いなるルサンチマン」もあります。1960年代から70年代の大きな希望とそれにつづいて政権についたいわゆる「社会主義」政党によってこれらの希望が打ち砕かれたところから生まれてきたものです。

すべての共和主義的、社会主義的、革命的、進歩的理念は、自分自身に向かってけしかけらています。それらの理念はそうおもわれてきたものとは反対のものになってきた、つまり、もはや平等のための闘争の武器ではなく、「理性を欠く」とか「後進的」とみなされた人々への、差別、不信、嫌悪のための武器と化してきたのです。不平等の増大に闘うこともできないため、不平等によって悪影響を受ける人々を不適格者扱いすることで、不平等を正当化するのです。

マルクス主義的批判が根本的にひっくり返って、デモクラティクな諸個人や専制的な全能の消費者の非難に活用されているそのやり方を考えてみましょう———そこでは最小の消費手段しか持たない者まで非難されるのです。共和主義的普遍主義も反動的思想に反転して、最貧困者をスティグマ化しながら、おなじロジックを語っています。

Q しかし、女性の解放の身ぶりからはあきらかにほど遠いヴェールと戦うというのは、十分正当性があるのではないですか?

A はたして女性の解放が国立学校の使命かということは問題です。もしそうだとしたら、労働者やフランス社会におけるそれ以外の支配されている集団も解放されねばならないということになりませんか? ここには、社会的なものから性的なもの、人種的なものにいたるまで、あらゆる種類の従属があります。反動的イデオロギーの原理は、一つの特定の従属の形態を標的にしながら、それ以外のものはそのままにとどめておく、というものです。

かつてはフェミニズムを「コミュニタリアン」だと論難していたおなじ人間たちが、いまでは、反ヴェール法を正当化するために「フェミニスト」を発見しているというわけです。ムスリム世界における女性の位置が問題ぶくみであることはたしかです。しかし、自分が抑圧的であることをどう考えるかをきめるのは、当該の女性たちです。そして一般的にいって、自分自身の従属にたいして闘わねばならないのは当の抑圧されている人間たちです。だれかがかわりに解放するということはできません。

Q 国民戦線にもどりましょう。あなたは「民衆」は本性的にレイシストであるという発想を批判してきました。あなたの考えでは、移民は「下から」くるレイシズムではなく、「上から」くるレイシズムの犠牲者です。つまり、人種的プロファイリング、郊外地区への追放、あるいは外国人ぽいファーストネームによる仕事や住宅をみつける困難さ。しかし、有権者の25%は、モスク建築の凍結をのぞむ政党を支持しているとしたら、いずれにしても、排外主義的衝動がフランス住民を動かしているとはいえませんか?

A まず第一に、排外主義の浮上は、極右への有権者の範囲をはるかに越えているといます。Rue du 19 Mars 1962という名称を変更した、国民戦線と連携しているロベール・メナール[元トロツキストで国境なき記者団の創設者。南フランスのベジエの市長。アルジェリア独立にまつわる通りの名を、フランスレジスタンスのメンバーだがのちに反動的な反アルジェリア独立運動の支持者となり、1961年の将校たちの一揆に参加し、投獄された人物の名のそれに変えた]、植民地主義の積極面を教えるよう要求している国民運動連合[UMP、中道右派]の国会議員、学校食堂の豚肉抜きのメニューに反対したニコラス・サルコジ、あるいは、ヴェールをした若い女子学生の大学からの排除をもとめるいわゆる「共和主義的」知識人のあいだのどこに違いがあるのでしょうか? 

いずれにしても、国民戦線への投票は、イコール、レイシストないし排外主義的思想を表現だとするのは単純すぎます。民衆の感情の表現手段であるという以前に、国民戦線は第五共和制の憲法にしたがって組織されたようなフランスの政治生活の構造的帰結なのです。ごく少数の人間に住民の名のもとの支配を許容することで、この体制は、機械的に「われわれは連中のゲームにのらない」と宣言することのできる政治集団に存在の余地をひらきました。

国民戦線は、共産党や新左翼の解体以降、このスペースを占めます。大衆の「根深い感覚」といいますが、それをどうなって測るのですか? フランスではドイツのPEGIDAに対応するような排外主義運動はありません、とだけ述べておきます。それに私は、しばしば指摘されるようには、いまの状況が1930年代と比較しうるとも考えません。いまのフランスには、大戦間の大きな勢力だった極右民兵のようなものは存在しません。

Q 国民戦線と戦う必要はないとおっしゃっているようにも聞こえるのですが・・・?

A 私たちは国民戦線を生みだすシステムと闘わねばなりません。ということはまた、国民戦線を非難しながら、それを政府エリートと知識人階級の急速な右傾化を隠蔽する手段として用いる戦術と闘わねばなりません。

Q かれらが政権をとる見込みについてはいかがでしょうか?

A 私は国民戦線は、われわれの制度固有の論理のなかの不均衡の果実であると考えています。なので、私の見込みは、むしろ、それが体制[システム]のなかに統合されるというものです。すでに国民戦線と体制にある現在の勢力のあいだにはたくさんの類似性がみられます。

Q 国民戦線が権力につくとしたら、フランス社会でもっとも弱い立場の者、つまり移民にきわめて具体的な帰結をもたらすでしょうか?

A たぶんそうなるでしょう。しかし私は国民戦線が、何千、何万という大量の人々を、「自分の故郷へ」と盛大に追放するという動きを組織するとはおもえません。国民戦線の問題は、貧困白人が移民に対立するという問題ではありません。その投票者は社会のあらゆるセクターに拡がっており、そのなかには移民すらふくまれるのです。もちろん、なんらかのシンボリックな行動はあるかもしれません。しかし私は国民運動と国民戦線の連立政権が、国民運動単独政権とそう異なるとはおもいません。

Q 選挙の第一ラウンドの直前に、マニュエル・ヴァルはフランスの知識人が「眠り込んでいる」と批判しました。「知識人はどこだ、この国の偉大な良心派どこだ、前線で行動すべき教養ある男と女はどこだ、左翼はどこだ?」とかれは問いかけました。どうお考えでしょうか。

A 「左翼はどこだ?」と社会党員が問いかけます。答えは単純です。「ここがかれらの導いてきた場所だ。この壊滅状態(néant)が」。社会党の歴史的役割は左翼を根絶することでした。使命は果たされたのです。マニュエル・ヴァルが知識人はなにをしていると問いかけるわけですが・・・・率直にいって、かれのような人間が知識人たちを批判できるとはおもえないのです。かれらは知識人の沈黙を攻撃します。しかし実際には、数十年ものあいだ、一部の知識人たちは盛大なおしゃべりをくり広げてきました。知識人はスターになりましたし、聖人にすらなりました。かれらはヴェールやライシテをめぐる憎悪に充ちたキャンペーンの主要な推進者でした。かれらはしゃべりすぎなのです。

つけ加えると、知識人への訴えかけは、知識人としてのスポークスマン的役割なるものを演じることのできるほど愚かな人間への訴えかけです。もちろん、理性を欠き後進的であるとされる人間たちとみずからを対立させながら、そうした役割を引き受けることもできます。しかしそれは究極的には「知っている」だれかと「知らない」だれかの対立に戻ることであって、それこそまさにこの嫌悪すべき社会と闘いたいとのぞむならば打破しなければならないものなのです。そして国民戦線とは、その嫌悪すべき社会のただ一つの特殊な表現にすぎないのです。

Q しかしながら———あなた自身をふくめて———フランス思想におけるこの右傾化と戦う知識人もいます。知識人の言葉の力を信じないのですか?

A この状況を打破するのに、幾人かの知識人である個人を期待することはできません。それが起きるとしたら、大衆の民主主義的運動によってのみです。かれらは知識人の特権にたよることでみずからの正当性を引きだすことはないでしょう。

Q あなたの哲学的著作では、プラトン以来、西洋の政治思想は「知らない」者から「知っている」者を分割する傾向がありました。一方には教養と、理性と、能力をもつ階級があり、統治するという使命をもっています。他方には、無知な民衆階級があり、自分自身の粗野な衝動の犠牲者です。かれらは統治される定めにあります。この分析軸を現在の状況にあてはめるとどうなますか?

A 長いあいだ、支配者はみずからの権力を、賢慮、中庸、知恵のような、開明的な階級に固有の徳とみなされるもので装うことで正当化してきました。・・・・今日の政府は、一つの科学、すなわち経済学の名で語ります。そして経済学のいう客観的で不可避の法則をあてはめる以外のことはしないと宣言するのです———そして、たまたまそれが支配階級の利害にもかなっている、というわけです。

しかし、この四十年もにわたって、私たちは、老いた政府の賢人やあたらしい経済学のもたらす経済的災厄と地政学的カオスを目の当たりにしてきました。この能力あるとされる者の無能を見せつけられ、実のところは自分たちを嫌悪している統治者に対し、統治される者の嫌悪がよびおこされている、というのがこの現状なのです。しかしながら、無能とみなされている者の民主主義的能力の積極的な発揮(manifestation)は、それとはまったくべつのものなのです。


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